Jewelry sommeliere

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津延美衣(つのべみえ)NY州立大学FIT卒業。米国宝石学会鑑定有資格者(GIA-GG,AJP) 運命学・自然医学・アート・アロマテラピー・食文化などの知識を元に感動的な人生を描くプランナー・エッセイスト・キュレーター兼ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere) 美時間代表。

2015年6月2日火曜日

週間NY生活No.534 4/25/2015 「人生の放課後4」

      「団塊シニア層の夫婦の一人ひとり」

  団塊シニア層の夫婦は自分自身を見つめ直すためお互いに距離を置き始めると言われる。まず同じ寝室内でベットや布団を共にすることを避け、長じて子供が独立して空いた部屋にどちらかが移動し、共有の時間は食卓やリビングで持つ。また空き家になった両親の実家や、現役時代に購入したセカンドハウスに片方が移り住むこともある。法的には夫婦の関係を保ちながら、同居にこだわらず互いの自由を尊重して暮らすスタイルのを「卒婚」というが、双方が健康であれば成立する。

  「卒婚」に関してテレビが50歳以上の1500人に実施したアンケートによれば、半数以上の女性は関心あり、家事からの解放と夫との距離を持ちたいという。一方、男性は興味ない人が半数以上に達し「卒婚を考える妻はエゴの塊、夫婦は死ぬまで一緒」と多くの反発意見があったとは、ニールヤングのヒット曲「a man needs a maid 」の世界観だ。男女の考え方に温度差があるのは確かだし、それは墓問題にも繋がる。全国の既婚女性880人に行ったテレビの調査によると、10人に6人が夫の墓に入りたくないと回答。その理由は「知らない先祖と一緒は嫌」が最も多く4割で、次に「遠い・縁のない土地にある、夫の家族が嫌い」と続く。この結果を踏まえて既婚男性約1300人に「夫婦は一緒の墓に入るべきか?」の問いに6割強が「そう思う」と答えた。更に実況中継では「死ぬ時くらい自由にさせて!遺灰は海に蒔いて」という妻に対して夫は「そうは行かない」と反論。結論は、妻が先に逝ったら遺骨の一部をミニ骨壷に入れて保管し、その後、夫の墓に一緒に埋葬することで妥協する。夫婦の覆水盆に返らず、溝を流るだ。

ワイン王国No.58

    シャンパーニュとダイアモンド

 シャンパーニュを飲む度に、グラスの中でダイアモンドがキラリと光るような気がする。というのも、ダイアモンドが誕生する時と、シャンパーニュを開栓したときに勢いよくボトルからはじけるコルクの状況が似ているからだ。
 諸説あるが、ダイアモンドは高温・高圧の条件がそろった、ある限られた地域のマントルと地表の間で育つ。鉱物の中では珍しく炭素100パーセントの成分からなり、その炭素原子は自然界に存在するほかのどの物質よりも硬く結びついている(それで婚約指輪に用いられる)。その後、数億年から数十億年も地中に眠り、マグマの上昇に伴い母岩に包み込まれて勢いよく上昇し、マグマ内の膨張した気体が大部分水蒸気と二酸化炭素になり(シャンパーニュのボトルを振ったときの気体と同じ状態)、この強力な気体の膨張と噴出速度によりダイアモンドが地表に誕生する。もしもダイアモンドが上昇していく旅の途中、圧力が下がった状態で長時間高温にさらされると、これが運命の分かれ道となり、皮肉にもグラファイト(炭)に変質してしまう。
 ブッタが悟りの境地について、’’金剛心=ダイアモンドを得た心’’と表現したと言われるくらい、ダイアモンドはすべてを貫く純粋な透明感と輝きを放つ炭素の塊。それが人々の手によりファセットカット(宝石の加工方法)され、7色のスペクトルをすべて包括し光り輝く美の完成に達するまで多くのプロセスを経る。その昔、偶然生まれた泡立つワインから始まったというシャンパーニュ造りも、同じく人々の手により試行錯誤をくり返しながら究極のご褒美になった。ともに、ガイアである地球が生み出したものを、人類が悠久の時を経て完成させた最高傑作であり芸術品だ。
 ところで、私が初めてシャンパーニュを口にしたのは、かつてニューヨークに留学していたころ。サンクスギヴィング(感謝祭)当日、隣人夫婦のセカンドハウスに招かれた。素晴らしい欧風の絨毯と織物のソファー、主人の趣味である見事な刺しゅうと置物に囲まれ、暖炉の火がゆらゆらと燃えた、まるでおとぎ話にでも登場しそうな部屋で、勢いよくシュポンと栓が抜かれたボトルから、黄金色の液体がフルートグラスに注がれた。当時は銘柄など全く気にも留めなかったが、彼が取っておきのシャンパーニュだと話してくれたことが頭の片隅に刻まれている。細かくクリミーな泡が途切れることなく、グラスの底から立ち上がってくる不思議な飲み物を口にした時の感動と、アッという間にのどに消えた後にいつまでも続く心地よい余韻は忘れられない。
 今も毎年訪れるニューヨークでの楽しみのひとつは、膨大なシャンパーニュがストックされた専門店で、日本では入手しにくい銘柄やお気に入りを買い求め、それとマリアージュする料理を作り、友人らと晩餐を楽しむこと。

 ともあれ、グラスに注がれたシャンパーニュを見る度に感慨深くなる。それはロゼを除いた色合いにおいて、「ほとんどが、わずかに黄色味または茶色味を帯びており、ライトイエローが多い」というダイアモンドの価値を決める4C(carat、cut、color、clarity)のひとつであるカラーの定義と似ているからだ。

2015年5月20日水曜日

週間NY生活No530 3/28/2015「人生の放課後3」

      「放課後を楽しむ団塊世代富裕層」

 数年前から65歳を迎えて本格的な余暇生活に入った団塊世代は、年金を額面通り受給できる最後の世代だ。日本の個人金融資産も米国に次ぎ世界第2位で、その約6割を60歳以上の富裕層が占める。内閣府で行われた意識調査(平成23)によると、彼らの世帯1人当たりの総所得(平均世帯数1,56人)は197,4万円(公的年金、恩給が67,5%)で、全世帯(2,68人)の200,4万円と変わらない。貯蓄率に至っても1番高く、全世帯の16,64万円を上回る22,57万円(65歳以上)。その上、9割が持ち家である。負債も少なく暮らし向きに心配がないと答える人が70%に及ぶ。特に女性の経済的余裕度は男性よりも高い。


 男女共に趣味や楽しみは、テレビ・パソコン・旅行が上位を占める。以下、男性は散歩・新聞・雑誌と続き内向き傾向を見せるが、一方で女性は家族との団欒・買い物・友人、仲間との交際など外へと向かう。例えば、お洒落な女性が銀座中央通りに面した建物の中に次々と向かう先にあるのが女性専用健康麻雀教室。テレビでボケ防止と推奨されてから反響が大きく、賭けない・吸わない・飲まないが鉄則で、午前中から夕方まで先生に麻雀を教わり、その後デパートで買い物をして帰宅する。私も参加してみたことがあるが、団塊世代中心のご婦人方が真剣な眼差しとしなやかな指で雀士の如くパイを追う姿は新鮮だ。そして胸元には輝く宝石で象ったペンダント。伺ったところ、溺愛した亡き犬を片時も忘れないために写真を入れているそうだ。昼食時になり、各人が持参した彩り豊かなお弁当を広げて始まったお喋りに誘われたとき、このような華麗奔放な生き方もありかなと感じた。

2015年5月14日木曜日

週間NY生活No526 2/28/2015「人生の放課後2」


     「家族形態が変化しても不変な憶い」

  近年なぜ日本の家族形態は単独世帯になりつつあるのか。幾つかの要因を挙げてみると、第一にバブル崩壊後の長期に亘る不況と非正規雇用の増加により生み出された多くの低所得層の若者が家族を持てないこと。第二に女性の三従苦(産まれて→親、結婚して→夫、老いて→子)からの解放による晩婚、離婚、非婚化。第三に65歳以上の単独者の大増加などが思い当たる。2035年には7世帯のうち1世帯は単独高齢者になるといわれ、1985年に夫婦と子供を家族とする「家族類型」を前提に作られた年金制度は崩壊し、特に女性高齢単独者の生活困難が予測されている。

「お一人さま」が急増している昨今、制度設計の早急な見直しが迫られている。ところで、生涯「お一人さま」でもご先祖様はいる(両親がもっとも身近な先祖)。お彼岸やお盆になるとお墓参りに行ったり供養することは、生活の中に自然に溶け込んでいる行事だ。「お盆」が先祖をこちらにお迎えしてもてなすに対し、「お彼岸」は私たちが悟りの地である西方極楽浄土(彼岸)に歩み寄ること。年2回真西に太陽が沈む日を春分の日、秋分の日とそれぞれ定め、その前後3日間、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定→智慧=般若波羅蜜)の修行をして、煩悩に苦しむ現実のこの世である「此岸」から「彼岸」に向かおうというわけだ。彼岸の語源はサンスクリット語の「paramita (波羅蜜多)」の漢訳「到彼岸」の略語。どうやら私たちの人生は「棚からぼた餅(牡丹餅)」とはいかないようだ。因みに今年の春分の日は3月21日なので、18~24日迄がお彼岸にあたる。

2015年3月20日金曜日

週間NY生活No.522 1/31/2015「人生の放課後1」

 団塊世代「できた子供」は「できた大人」となり、今現在も日本経済を引率

   なぜベビーブームが1947年~49年の3年間だけに集中したのか?それまで刑法の「堕胎罪」が有効であり、当時「できた子供」は漏れなく産まれたからだ。その後世界に先駆けて妊娠中絶を認める法律が成立したのだが、皮肉にも未だに続く人口減少の一要因になっている。 
   彼らは幼少の頃から大家族の中であらゆる知恵を自然と吸収し、同時期に教育による知識も身に付け、やがて日本の高度成長期を担う主役となって躍りでた。終戦後の昭和の貧しくても良き時代に育った彼らの胸は期待と希望で満ちあふれ、日本の社会に弾け飛んだ。2005年、国勢調査の結果を元に、巨大なボリュームの人口にあたる「団塊世代」の退職者が発生するという「2015年問題」などが揶揄されてきたが、現実には多くの企業が「継続雇用制度」を導入したことにより、60代年齢層の労働力が上昇してきた。かたや民放でも毎週、職人技を貫き通した伝統工芸品や、町工場にて国内外に向けた精密な部品を製作する「日本の職人さん」を紹介する人気番組がある。世界経済時計があるとすれば、華やかな時を刻むのは大手有名メーカーで裏でそれを支える要になっているのは彼らだ。後継者不足に悩みつつ、作業に入ると目も鋭くごっつい手が器用に動く。その傍ら家族を思いやる優しい眼差しは、既に他界している両親にも向けられ、仏壇で手を合わせる大きな背中には「できた子供」が垣間見られる。今後の超高齢社会を先導する役割、雇用、就労など社会参加の活動などにおける彼ら「できた大人」の活躍が期待されているのだ。

2014年1月16日木曜日

魔法の粉


 毎日の生活の中で食べるということは生きているうえで一番大切なことだ。わたしたちは他の生きものたち同様、地球上で育まれるものを分けて頂き命を全うして大地にその身を還元する。食べることはわたしたち人間にとって、楽しみでもあり他の人とのコミュニケーションを促すものでもある。
 家で食事を作るとき、もととなる食材を得る方法も本来なら自給自足が理想だが、残念ながら東京の中心地に住んでいる人たちにとってそれは容易ではない。産地直送に頼るかスーパーや専門店で調達するほかないのだ。まして完全無農薬のオーガニックの野菜や果物を手に入れることは難しい。商品として出荷するうえで多少の農薬は欠かせないようなのだ。それくらいならまだ良いが、実際にはものによって農薬が随分使用されていると思われる。
 十年くらい前だろうか、経営コンサルタントをされている方のの講演会に行った時のことだ。その舞台の上で、ホタテの貝殻から生み出された魔法のような粉が紹介された。
(ホタテ貝の身を取り除いた貝殻は大量の廃棄として処分されるのだが、1トントラック1台あたり十数万円かかるとのことで頭を抱えていたそうだ。そこである方が、それに目を付けて研究に研究を重ねた結果生み出された代物。)その粉を溶いた水槽のなかにワックスのついたオレンジやグレープフルーツを入れると、瞬く間にギトギトとした油のようなものが浮いてきた。ワックスだけでなく農薬も浮いてくると話をされたのを覚えていた。
 そして偶然にも数年前、その商品かどうかは分らないが「農薬やワックスを取り除くホタテ貝殻パウダー」というのを手に入れた。それ以来購入した野菜や果物をその粉を溶いた水に浸けておくのが習慣になった。
 野菜の中で油のようなものがとくに浮いてくるのは、キャベツ、かぶの葉、セロリ、ピーマン、きゅうりなど。一番ショックを受けたのがそのまま洗って食べるイチゴとアメリカンチェリーだ。油のような膜で水面が覆われてしまうのだ。昔の話になるが、わたしの大好きなイチゴをその時期になると母が買ってくれて、毎日のように一パックずつ食べていたことを思い出すとぞっとする。
家食は食材と調味料そして水も吟味できるし、安心で美味しくある程度満足なものが食べられる。わたしの場合、買い物に行って食材を見てからレシピが決まる。思いつき我流按配料理。これからそれらをたまに紹介したいと思う。




2013年4月17日水曜日

『わりなき恋』を読んで


『わりなき恋』を読んで

 物語は、ヨーロッパを中心とする諸国を舞台に、人道的視点でそれぞれの文化や、歴史的変遷を分かりやすく映画で繋いでいく優秀なドキュメンタリー作家の伊奈笙子と、出発ぎりぎりで乗り込んできた、還暦前の、世界中を飛び回るエリートサラリーマン、九鬼兼太との成田発パリ行き飛行機のファーストクラスで隣り合わせになったことから始まる。
 長距離のフライトでは、誰もが狭い機内のわずかながらのプライベートと開放感を期待して、隣が空席であることを願うが、笙子もその一人だ。ところが、突如隣席を占領した兼太の旅慣れたスマートな振る舞いに、笙子は不意をつかれる。現在形から始まった二人の会話はいつしか世界情勢や文化的な共通点へ発展してゆき、到着前には連絡先を交わすまでの現在進行形に変化していた。
 その後二人は、多忙なスケジュールの合間をぬって逢瀬を重ねていく。そこには、笙子の奥ゆかしい凛とした日本女性の根っこを感じさせる建前と、恋愛大国パリ生まれを匂わす本音が見え隠れする。古希を迎えようとする彼女に何度も訪れる迷いと悩み。そのたび自問自答する時に、本音の部分を語るもう一人の笙子では?と憶測してしまう、友人の砂丘子が登場する。
 未亡人笙子の、一回り年下で妻子持ちの兼太との、理屈や分別を超えたどうしようもない「わりなき恋」は、女としてデクレッシェンドする灯火に、拡散燃焼を起こした。燃え尽きようとする寸前の、乱流を伴った妖艶な明るさが加速していく。その反面、お互いの修正も矯正もできない、確固とした道のりがすでに出来上がっている現実から、笙子のこころの奥底は、光を発していない温度の低い炎の中心のようだった。
 結果的に、二人の最後の小旅行になったのが、笙子のリクエストでもあった、ウイーンにあるヴェルヴェデール宮殿にクリムトの絵を見に行くことだった。
 「接吻」「ダナエ」に代表されるやクリムトの描くエロティシズムの世界は危険な官能美の世界に溢れている。描かれている女性は、性的感情に満たされ、自らエロスに支配されることにより、身にまとってきたものすべて取り払い、自らの本能を通じて、純粋に真の自分自身を感じているように見える。
 作品の前で、無言のままじっと見つめる笙子。まるで、描かれた女性に自分を重ねるように。
 笙子は「デラシネ」を、引っこ抜いた根無し草と訳すことに前から反発を感じていた。それは、家庭という根を下ろすところは無くても、浮き草のようにみずみずしく生きていく選択もあるからだ。
 気持ち良さそうに人生を謳歌しながら漂う、女の性を包括する魅力溢れる人間。そんな笙子に最後まで翻弄されたのは、兼太だけではない。私たち読者だ。