Jewelry sommeliere

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NY州立大学FIT卒業。 米国宝石学会鑑定・鑑別有資格(GIA-GG,AJP)。 CMモデル、イベント通訳コンパニオン、イラストレーターなどを経て、両親の仕事を手伝い十数カ国訪問。現在「美時間」代表。今迄培ってきた運命学、自然医学、アロマテラピー、食文化、宝石学などの知識を生かし、健康で楽しく感動的な人生を描くプランナー、キュレーター、エッセイスト、ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere)

2023年11月4日土曜日

週刊NY生活No.929 9/16/23' 宝石伝説68「日本の神々『アメノウズメ命』3」41

     
    山梨と宝石「日本の神々『アメノウズメ(天宇受売命)』3」41


 アメノウズメは、アメノコヤネ(天児屋根)、フトダマ(布刀玉命)、タマノオヤ(玉祖命)、イシコリドメ(伊斯許理度売命)らとともに五伴緒神(いつとものおおかみ)の一柱として、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が高天原から葦原中国へ天降るさいに随伴した。その道中は複雑に入り組んだ天之八衢(あまのやちまた)があり、たとえ神であってもそこを無事に通ることは容易ではない道のりに、背の高さは7尺(2m強)ほどだが七咫(ななあた)(手の平長さ×7)もある高い鼻に光り輝くような真っ赤な目をした者が現れて一行を阻んだ。動揺する天津神らのなかで、この異様に映った存在に臆することなく近づいて名を尋ねたのはアマテラスから信頼されるウズメだった。この者は葦原中国からの使者である国津神・サルタヒコ(猿田毘古神)で、やがてウズメの媚態に籠絡され精気をぬかれて参ってしまい、行く手を憚るどころか道案内をすることになった。そしてニニギノミコト一行は迷うことなく無事葦原中国へ到着(天孫降臨)する。

 のちにウズメは、アマテラスからサルタヒコの名を明かしたことからその名を負って仕えることとなり猿女(サルメ)という名前を与えられサルタヒコの妻に。さらにサルメノキミ(猿女君・猨女君)の祖神となる。やがて、サルタヒコはウズメに付き添ってウズメの原郷である伊勢の狭長田(さなだ)の五十鈴川(いすずがわ)に行く。このときに、猿の男(サルタヒコ)と猿の女(アメノウズメ)は、男女一対の神として結婚したという解釈もされている。

 ある日ウズメは、サルタヒコが日向国(ひゅうがのくに)に行ったのを見送った後、大小の魚を集めて天孫(ニニギノミコト)に仕えるかどうか尋ねた。みな「仕える」と答えた中でナマコだけが何も答えなかったので、ウズメはその口を小刀で裂いてしまった。これが原因でナマコの口は裂けているという。このエピソードは、ウズメがただ美しく妖艶であるだけではなく激しい気性も持ち合わせていた凄ぶる神だったことを現わす。ちなみに、ウズメの功績により代々の天皇は志摩国から新鮮な海産物が献上される際には、猿女君(祖人ウズメ)に与えるそうだ。

 さて、(株)クロスフォーから光に満ちたウズメをイメージするデザインのペンダント黎明(REIMEI)が出た。


週刊NY生活No.925 8/19/23'宝石伝説67「日本の神々『アメノウズメ命』2」40

     山梨と宝石「日本の神々『アメノウズメ(天宇受売命)』2」40


 天の岩戸開きに、日本最古の踊り子とされるアメノウズメが披露した舞は神楽の原型になった。役者を表わす俳優という言葉は『日本書紀』でウズメの舞を「巧みに俳優をなし」と表現したことが由来だ。岩戸開きで大きな活躍をしたウズメがさほど評価されなかったのは、オモイカネを筆頭にイシコリドメ、タマノオヤ、タヂカラオ、さらにウズメの父であるフトダマなど八百万の神々が協力して作戦を遂行したからで、特に鏡と玉を造る氏族が重視されていたようだ。

 天の岩戸隠れは、弟・スサノウが母のいる黄泉の国へ向かう途中で姉へ別れの挨拶をする目的で伺ったときに働いた乱暴を、高天原を侵略しにきたとアマテラスが勘違いしたことが発端とされる。その訪問をアマテラスに報告したのはウズメのようで、さらに後の「国譲り・葦原中国平定(これは日本神話で最も大きな出来事の一つ「天孫降臨」を指す)」の際にも大活躍する。アマテラスら高天原に暮らすのが『天津神』一方で、葦原中国を平定して暮らしていた土着の神『国津神』オオクニヌシは、突如として自分の孫にあたるニニギノミコト(邇邇芸命)に葦原中国の支配を任せたかったアマテラスから「国を譲れ」と迫られたのだ。オオクニヌシらは最初は抗うものの、天津神の圧倒的な力の前になす術がなく従わざるを得なかった。高天原から降りて(=海から渡来する意味の説あり)そのサポートにあたった5人の五伴緒神(いつとものおかみ)が同行したなかにもウズメがいて、大役を任される重要な神であった。

 一行が高天原から天降りしていると、葦原中国の国津神の一人が行く手を阻んだ。すると、アマテラスとタカミムスビ(高御産巣日神)はウズメに、「女神であるものの、男神と向かい合っても気後れすることもないと思うので、そのもののところへ行って正体を確かめてきなさい」といった。その時の様子を『日本書紀』では次のように記述している。「その胸乳をあらわにかきいでて、裳帯(もひも)を臍(ほそ=ヘソ)の下におしたれて、あざわらひて向きて立つ。」 つまり、ウズメが乳房をあらわにし裳の紐を臍の下まで押したれて、あざ笑いながら国津神に向かって名を尋ねると、「国津神のサルタヒコ(猿田毘古)」と名乗った。

さて、クロスフォー(株)から天宇受売命が踊る躍動感を表したリング舞踏(BUTOU)がでた。


週刊NY生活NO.921 7/15/23'宝石伝説66「日本の神々『アメノウズメ命』1」39


    山梨と宝石「日本の神々『アメノウズメ(天宇受売命)』1」39


 アマテラス(天照大神)が岩戸にお隠れになり天地は真っ暗闇になったというのは、先に述べたようにやまとこく(邪馬台国)の女王・ヒミコ(卑弥呼)がお亡くなりになり、その後継者であるイヨ(壱与)に代替わりしたとされる説に信ぴょう性がありそうだ。それはさておき、神話でその場面に登場する、イシコリドメ(鏡作氏)、フトダマ(忌部氏)、アメノコヤネ(中臣・藤原氏)は日本の歴史上錚々たるメンバーだ。一方で、見逃してならないのはアマテラスを岩戸から誘いだすのに重要な役割をした天津神であるフトダマとヒリトメを父母にもつ謎多き芸能と神事の女神アメノウズメ(天宇受売命・天鈿女命)で、一柱の神として鎮座するのは長野県北安曇郡松川村の鈿女神社になる。岩戸開きのウズメの様子について『古事記』では次のように記述されている。 「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、胸乳を露わにかきいでて裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」つまり、 ウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし裳の紐を女陰まで押したれて、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた鉾、『古事記』では笹葉を振り)力強くエロティックな動作で踊って八百万の神々を大笑いさせた。その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けたアマテラスに「あなたより尊い神が生まれた」とウズメが言うやいなやタジカラオが岩戸を開いてアマテラスを引き出し、再び世界に光が戻ったとある。ちなみに『日本書紀』も似た記述であるが、胸乳の記述は無く女陰については「火処(ほところ)焼き」と記され、神々の反応は記されていない。天の岩戸前で神がかりした踊りでアマテラスの関心をひいてなお会話を交わすその姿は、シャーマン(巫女)が恍惚状態になり交信する様子を映したものとも考えられている。ウズメという名前について多くの解釈があるが、その「ウズ」とは神事の際に頭に挿す枝葉や花を意味する「挿頭(かざし)」からきているという説があり、神霊を招き宿らせる一種の寄り代の機能を持つものと考えられる。そこからウズメとは「神事における特別な役割をする髪飾りを挿した女性のこと」といわれる。

さて、クロスフォー(株)から天宇受売命の踊る姿をモチーフにしたペンダント舞踏(BUTOU)がでた。