ミキモトとアコヤ(養殖真珠)下
1920年代、左右対称の機能的な美を追求したアール・デコは、パリ、ニューヨーク、ロンドンなどで同時発生的に流行した。それにマッチする、サイズと色合いが揃うアコヤ(真円養殖真珠)は時代の申し子となる。特にアコヤのロープは、空前絶後の人気を誇り生産も急増した。1929年、米国ウオール・ストリートの株が暴落し、大恐慌が始まるや否なや天然真珠も影響を受けて欧州でも取引ができない最中、天然、養殖、模造に限らず「真珠」はモードと切り離せない関係にあった。シャネルはそれまでの「ドレスにはコルセット」の概念を打ち崩し、体を締め付けない、ストンとした膝丈の黒いドレス『リトル・ブラック・ドレス』に真珠を合わせた。このテーゼに多くの女性が共鳴し、パーティーに欠かせないスタイルとなる。さらに真珠人気に拍車をかけたのがパリモード界だ。戦後、ディオールは優雅で女らしいスタイルのドレス(ウエストをしぼり、スカートを膨らませる)に真珠を合わせた。そして中産階級が台頭する大量消費社会のアメリカに進出して、ハリウッド映画のヒロインらの定番スタイルとなる。G・ケリーはその後モナコ公妃になるが、いつも真珠のネックレスが胸元で優麗な輝きを放っていた。M・モンローは、ハネムーンで来日した際、NY・ヤンキーズのJ・ディマジオから贈られた、ミキモトの真珠ネックレスを付けて人前に現れたことは有名だ。また、映画『ティファニーで朝食を』の冒頭で、早朝ジバンシイの黒いロングドレスを装ったO・ヘップバーンはタクシーから降り、少し千鳥足でNY5番街のティファニーのショー・ウィンドウに向かう。その背中は大きく開き豪華な何連もの真珠が重なり、紙袋からパンを取りだしほおばる彼女の姿は魅力的だ。
アコヤは、天然真珠の価値を暴落させたことで排斥運動が続いたが、敗戦後状況は一変する。GHQによる日本統治が開始されると、来日する進駐軍将兵たちは愛する人に真珠を贈るため、帝国ホテルのミキモト真珠店に列をなした。また英盧湾にあるミキモト真珠養殖場はメッカとなり、マッカーサー夫人、米軍高官やその家族が真珠王(御木本幸吉)に会いに訪れた。1954年他界する(享年96歳)もミキモト参りは絶えず、世界に冠たる英国女王まで引き寄せるほど『ミキモトのアコヤ真珠』は威光を放ち現在に至っている。