Jewelry sommeliere

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NY州立大学FIT卒業。 米国宝石学会鑑定・鑑別有資格(GIA-GG,AJP)。 CMモデル、イベント通訳コンパニオン、イラストレーターなどを経て、両親の仕事を手伝い十数カ国訪問。現在「美時間」代表。今迄培ってきた運命学、自然医学、アロマテラピー、食文化、宝石学などの知識を生かし、健康で楽しく感動的な人生を描くプランナー、キュレーター、エッセイスト、ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere)

2019年4月4日木曜日

週刊NY生活NO.709 1/19/19`宝石伝説 12「ドレスデン・グリーン」下

                    「ドレスデン・グリーン(下)」

  七年戦争終戦後、グリーン・ダイヤモンドは勲章「ゴールデン・フリース」から外され、帽子用ブローチに作り変えられた。1741年から約200年もの間ドレスデンに留まっていたこの宝石は、第二次世界対戦開始前までは一般公開されていたという。終戦後ソビエト連邦の戦利品としてモスクワに運ばれ、その13年後ドレスデンに返還されて以降、アルベルティーニム美術館に落ち着いた。この200年もの間ドレスデンの地で人びとを魅了してきたことから、一般に「ドレスデン・グリーン・ダイヤモンド」と呼ばれるようになった。
  2000年にこの宝石はアメリカにわたり、ニューヨークのハリー・ウインストンサロンで展示された後、その年の10月から約1年間、ワシントンD.C.のスミソニアン博物館にあるハリー・ウインストン・ギャラリー内の「ホープ・ダイヤモンド」(45.72ct のグレーかかった濃青色)の隣に展示された。ヨーロッパの王室に所有され、数世紀に渡り人々を翻弄しながら大陸を横断してきたという共通点を持つ「ホープ」と「ドレスデン」は「姉妹」のような存在といわれダイヤモンド史上、最も希少性の高い重要な位置ずけに値する至宝である。両者を並べて展示するウインストン氏の長年の夢が叶ったというわけだ。  
  
  世界で発掘されるダイヤモンドの多くは窒素を含有するタイプ I 型(a.b)で、その量にもよるが、多少なり黄色味を帯びる。このグリーンダイヤモンドはそれを殆ど含まないタイプ II型。その色因は結晶構造内で、放射線が炭素原子を通常の位置から転換することにより生じる。市場には人工的に緑色を入れられたダイヤが出回っているが、41ctもある「ドレスデン・グリーン」は自然発生による天然の緑色を有し、クラリティーも申し分なく唯一無二のダイヤモンドだ。

  このお宝に無色のダイヤモンドが散りばめられた絢爛豪華な帽子のクラスプは現在、ドレスデン宮殿にあるザクセン王家宝物館の「緑の円天井(グリーンヴォールト)」の部屋に鎮座している。

週刊NY生活No.706 12/15/18' 宝石伝説 11「ドレスデン・グリーン」上

                 
  「ドレスデン・グリーン」上

 「インドから帰国したばかりのマーカス・モーゼス氏は、緑色の大きなダイヤモンドを抱えて、時のイギリス国王ジョージ1世に謁見した。そのダイヤモンドを見るなり、国王と妃殿下はたいそう驚いたが、購入するまでには至らなかった。ちなみにその価格は1万ポンドだと言われている」と書かれたこの記事は1722年10月、ロンドン市内で配布された地元新聞紙「The Post Boy」の紙面で、のちに「ドレスデン・グリーン」と呼ばれるようになるグリーン・ダイヤモンドが取り上げられた、現存する最も古い歴史的資料である。
  18世紀に入って発掘されたこの宝石の産地は、ブラジル説もあるが南インドのゴルコンダ鉱山の可能性が高い。そして、ロンドンに住むユダヤ系のダイヤモンド商人として事業を成功させていたローゼスにより買い取られた。数年後、ザクセン選帝侯アウグスト1世(ポーランド国王としてはアウグスト2世で、芸術や建築をこよなく愛し、ドレスデンを中心にバロック建築を取り入れた多くの宮殿を建設)に、この宝石を3万ポンドでオファーを試みたが、売却するには至らなかった。
  やがて1741年、モーゼスの手から離れたこの宝石はオランダ商人の手を経て、アウグスト1世の息子であるアウグスト2世(ポーランド国王としては3世)の元に渡った。その金額は、軍事費に匹敵するほどの金額だったと言われる。

  息子のアウグスト2世の所有となったグリーン・ダイヤモンドは、父親の1世がドイツのハプスブルク帝国の同盟者の一人として金羊毛騎士団の騎士に叙任された時の勲章(ゴールデン・フリース)に、ウイーンの金細工師によりセッティングされより輝きを増した。その後、ヨーロッパで7年戦争(1756-1763年)が勃発し、ドレスデン城のグリーン・ヴォルト・ルームに安置されていた煌びやかな勲章は、王室宝飾コレクションとともに戦火をのがれるため、ケーニッヒスシュタインの要塞に保管されたのである。