Jewelry sommeliere

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NY州立大学FIT卒業。 米国宝石学会鑑定・鑑別有資格(GIA-GG,AJP)。 CMモデル、イベント通訳コンパニオン、イラストレーターなどを経て、両親の仕事を手伝い十数カ国訪問。現在「美時間」代表。今迄培ってきた運命学、自然医学、アロマテラピー、食文化、宝石学などの知識を生かし、健康で楽しく感動的な人生を描くプランナー、キュレーター、エッセイスト、ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere)

2021年5月3日月曜日

週刊NY生活No.803 1/23/21`宝石伝説36「コラボによる甲州切子カットの誕生」9

    
      山梨と宝石「コラボによる甲州貴石切子カットの誕生」9


 日本の誇る江戸(薩摩)切子は、やがて宝石研磨業界を震撼させる甲州貴石切子カットへと変貌を遂げるが、その凄さは一言では語れない。というのもカットしていく対象が安定した人工的なガラスと違って、天然石のもつ特徴である硬さや劈開性(特定方向からの衝撃に弱い)が石によって異なりそれによりカットの方向などを変えなければならないのだ。また大きさそのもが前半的に数センチの範囲で小さく繊細な作業を要する。ちなみに100分の1の狂いも許されないカッティングが可能な最小サイズは6ミリだ。

 甲州貴石切子カットを考案したのは、山梨ジュエリーミュージアムにて数ヶ月に一度宝石研磨体験の講師をされている深澤陽一氏。その昔、ドイツで有名な宝石研磨職人のムーン・シュタイナー氏の作品を見て感動し、自身でもそのようなものをいつか作りたいと思ったことが始まりだという。そのうちに浮かんできた切子カットの構想はいつも頭の隅にあったが、その頃それを作るだけの技術は身に付いておらず、実現に至るま約20年の歳月が過ぎたとのこと。ようやく形になってきたところで、同じく山梨県立宝石美術専門学校で教壇に立つ清水氏に切子カットの話しを持ちかけ、試行錯誤を繰り返しながら構想はやがて完成の一途を辿る。

 製作工程は、最初にお決まりの原石から荒削りをして、オーバルやスクエアなど外側の形を決める。そこから切子文様の形を決めて石に放射線状の下書きをするが、この作業が綺麗な切子になるかどうかが決まる重要なポイントとなる。わずかな狂いも許されない、緻密で完璧な下書きが要求される匠だけがなし得る技だ。その後は、毛引きと呼ばれる描いた線の上に、細工台(彫刻機)で細い線を作っていく。そこから荒削りでV溝を作り、中摺りを経て仕上げ摺りをして磨く。この仕上がった切子面のあと、清水氏によりファセット面が出来上がるが、この工程は順番が逆のこともあり、お互いにカットの作業を開始し出来上がったら交換して仕上げていくという。

ちなみに、切子のデザインは昔からある日本の文様(斜格子、魚子、霧など)がベースで、5パターンある。また使用する宝石は、水晶など硬度が7前後が適しているという。


週刊NY生活No.800 12/19/20`宝石伝説35山梨と宝石「江戸切子から甲州切子へ」8

       
       山梨と宝石「江戸(薩摩)切子から甲州切子カットへ」8

 

 伝統工芸品に興味がある方なら一度は目にしている、ガラスの表面に紋様カットを施して装飾(赤や青の着色が多い)されたグラスは江戸時代から伝わる切子細工という技法だ。

その代表的な江戸切子は、江戸時代後期(1830年代)大伝馬町でビードロ問屋を営んでいた加賀屋久兵衛が、西洋から持ち込まれたガラス製品に金剛砂を用いて細工をしたのが始まり。当時、黒船が来航したときの献上品であった加賀屋の切子瓶を見たペリーはその美しさに感銘を受けたという。そして明治時代に入るとガラス製作が政府の事業となり、ヨーロッパの新しい技術も導入してその伝統は絶えることなく現代に受け継がれている。一方、薩摩切子は薩摩藩主28代目の島津斎彬が諸藩に先がけ、製鉄、紡績など大規模な近代事業を推進したうちの一つだったガラス工場で生まれた。「薩摩の紅ガラス」と称賛されるほど、美しいガラスの着色方法も次々に研究するなか、1863年薩英戦争で工場が消失、明治時代の西南戦争と続き、残念なことにそれらの技術は完全に途絶えてしまった。そして100年後ようやく鹿児島市に薩摩ガラス工芸が設立され復元を遂げる。

 双方の違いは、江戸切子は色ガラスの部分が薄く、カットした透明な部分と色付きの部分の境目がシャープになるのに対して、薩摩切子は色ガラスの部分が厚いため、カットすると境目の部分がグラデーションのようになる。それらは伝統工芸品としての指定を受け、グラスなど食器のほか、現在ではインテリアやアクセサリーなどにも進出している。

 ところで、2015年それらに次ぐ第三の切子が日本一の宝石加工地、山梨県甲府で誕生した。それは、ファセットが合計180面を有する「キキョウカット」と呼ばれる無二無三の多面体カットを施す清水幸雄氏と、山梨ジュエリーミュージアムにて宝石研磨体験の講師をする伝統工芸士の深沢陽一氏とのコラボによる唯一無二の「甲州貴石切子」だ。このカットの技法は、宝石の表面にファセットカットを清水氏がを施し、下部の底面に切り子模様を深澤氏により刻み込んだもので、覗くとキラキラと輝く見事な和の文様が現れる。この世界初のカッティング法は2017年に商標登録が完了し、各界からも熱い注目を浴びることになる。


週刊NY生活No.796 11/21/20`宝石伝説34山梨と宝石「新発想のカットパターン」7

          
         山梨と宝石「新発想のカットパターン」7


 社内に職人をかかえて育成し自らも宝石のカットを施すかたわら、県立宝石美術専門学校にて教壇に立つ、八面六臂の活躍をされている甲府の研磨職人の巨匠清水氏がこの業界に入ったのは、すでに宝石の仕事をしていた兄の影響で自然の成り行きだった。昔を振り返えると修行しているときはかなり辛かったという。当時、研磨するときの金剛砂は高価でどこの工房も再利用した。「桶を洗い砂の粗さを揃える作業に極寒の中でも水を使うが、歯を食いしばって頑張ってきた。現在の自分は下積み時代に支えられている。業界に入って40年以上経つが、評価されてきたのはここ数年だと感じる。今でも満足することなく、まだまだ一生修行だ。これからも技術を磨いて色んなものを作っていきたい」と淡々と語る。工匠の謙虚な姿勢のなかに、神の手を授かり黙々と偉大なキキョウカットを仕上げながら少し先を見据えた可能性と勢いを感じた。

 貴石とは、①外観が美しい、②希少性が高い、③硬度が7以上で耐久性ある。この3つの条件が基本的に揃った宝石を指す。一方、沢山採取できる宝石はどんなに綺麗でも半貴石となり価値が下がる傾向があるのだ。ところが、清水氏はそれらに、付加価値として独特のカットを宝石のなかに施すことにより、②の「希少性が高い」に近づくよう半貴石の宝石に息を吹き込み、奇跡を起こした。それらは、桜インカット、ハートインカット、スターインカット、ダンデライオンカットなど複数のデザインのカットがあり、現段階では最小6ミリのルースにもカットが可能で、海外でも注目されている。

 ちなみに、スタッフである女性職人により考案された「桜インカット」は宝石の正面中央に桜の花が浮きでる。その花びらの形はふっくらしたり、シャープになったりと職人の個性がでるという。手作業のため一つとして同じものはなく、まさに「世界で一つだけの(桜)花」となり、手に入れた人はそれを指輪やネックレスにしてその優越感に浸れる。やがて清水氏は伝統工芸士の深澤氏とのコラボにより生みだした、表面のカット5種と、裏の切子カット5種の組み合わせで計25種類のさまざまな模様と輝きをもたらす「甲州貴石切子」というさらに芸術的なカットを施した宝石を世に出すことになる。

週刊NY生活No.792 10/17/20`宝石伝説33山梨と宝石「巨匠のキキョウカット」6

          
         山梨と宝石「巨匠のキキョウカット」6


 ファセットカットとは透明から亜透明の石の表面に施すカットのことで、その面が多いと宝石は光を反射してキラキラと輝く。それゆえ婚約指輪のダイヤモンドは、58面体を施したブリリアントカットが定番となっている。また最近は144面体にカットされたダイヤモンドがあらわれた。

 ところでそれを上まわる、硬度7前後の水晶などに正五角形12枚で囲んだ正十二面体をベースにして、それぞれの五角形の中心に向かって稜線のある五面のファセットカットが合計180面を有する、形が桔梗の花びらに見えることから「キキョウカット」と呼ばれる多面体が存在する。これは世界で唯一無二のカット技術で、すべて手作業により手先の感覚と摩擦の音だけで宝石をカットしていく甲府の宝石研磨職人の巨匠である清水幸雄氏によるものだ。彼曰く、「こいつに出会ったのは昔、ジュエリーマスターを受験しようと思い師匠のところに相談に行ったときに、「これをやってみろ」って見せられたのが最初。その頃、師から教えてもらったのは「12面体を切れ」ということだけ。あとは見よう見まねでチャレンジして、3、4個失敗はしたけどすぐにコツをつかんでできた」と。その後、御師はすぐに亡くなったが、やり方を教えてくれなかったことが逆に闘争心に火がついたという。設計図はなく、完成形を頭のなかに描き手触りと勘だけで削っていくという。正確な180面体のキキョウカットを切るのは至難の技で20年以上はかかるそうだ。清水氏が宝石をカットし始めるときの集中力は半端ない。恐らくすぐ瞑想状態に入り、宇宙と一体化し手が動きだし神業を成し遂げるのではと、ふと思った。それだけ「キキョウカット」は精緻で美しいのだ。この技術を受け継ぐ職人は現時点で誰もいないのもうなずける。原石の大きさと質によるが、仕上がった宝石の大きさは最小で直径8mm位から数センチがおもだ。帰り際に、水晶占いで用いるような直径7cmくらいの大きくてみごとなキキョウカットの水晶を取りだして見せて下さった。工匠は、これだけの大きさが切れる原石は滅多にないのと、カットの作業中片手でずっと重たい宝石を抱えていることから制作が大変で、基本的にこのマスターピースは誰にも売る気はないと呟いた。


週刊NY生活No.788 9/19/20`宝石伝説32山梨と宝石「甲州職人の技手擦り」5

          
        山梨と宝石「甲府職人の技 手擦り」5

 

 バブルの頃、国内の宝飾産業は4兆円産業といわれたが、最近では約7千億円まで落ち込んでいる。それは海外ブランドの輸入、アジア近隣諸国の台頭、既存の販売ルートの衰退などが追い討ちをかけたからだ。この状況改善のために、山梨では研磨宝飾の伝統技術を活かしたもの作りをブランド化して、グローバル市場に対応した生産地としての新たな試みがはじまった。

 甲府駅からタクシーを走らせ7~8分、移動する雨雲がちょうどきれた眩いかぎりの陽射しの先に、設立から35年を迎える(創業はその17年前)株式会社シミズ貴石があらわれ、玄関先に代表の清水幸雄氏が来られた。宝石一筋半世紀を迎える世界で唯一の宝石研磨技術を持つ職人は、2016年、黄綬褒賞を受賞されるもその勢いは現在なお進行形だ。

 さて、甲府の職人の得意技である、手擦り(手で石を持って、平面を研磨機に直接当てて研磨する技術)によるカットは手先の感覚と摩擦の音だけで切る方法で、世界的にみても甲府職人だけができる難しい技術だという。せっかくだからということで、実際の手擦りの過程を見学させて頂くことになった。2階に上がると磨かれる前の色とりどりの原石が待機する部屋とその隣りは、すでに磨きを終えてデビューを待つ宝石のルースが勢ぞろいする。そして、一般的なカットは勿論のこと、山梨の研磨宝飾の伝統と技が集結した幾つかの独特なカットを施す部屋があり数名の職人が作業中だった。ちなみに、日本には原石からカットして宝石を仕上げる会社は数社だけとのこと。

 そしていよいよ、大きさ2cmくらいの原石が匠の手にかかる。荒削り後、細かい金剛砂で削る面によって力の加減を変えながら手擦りをはじめてものの10分ほど。あれよあれよという間に歪な形をしたかたまりが、まるでマジックを観ているが如く見事なエメラルドカットに仕上がった。最後の工程はスタッフの女性により、青粉という酸化クロムを使いケヤキの木に当てることにより、ピカピカに磨きあげられたピンクがかった淡いアメシストの宝石が誕生した。名匠いわく、「カット面が平行に当たっているかを摩擦の音で判断する手擦りで一つの宝石を仕上げるのは、一朝一夕とはいかず10年はかかる」とのことだ。