Jewelry sommeliere

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NY州立大学FIT卒業。 米国宝石学会鑑定・鑑別有資格(GIA-GG,AJP)。 CMモデル、イベント通訳コンパニオン、イラストレーターなどを経て、両親の仕事を手伝い十数カ国訪問。現在「美時間」代表。今迄培ってきた運命学、自然医学、アロマテラピー、食文化、宝石学などの知識を生かし、健康で楽しく感動的な人生を描くプランナー、キュレーター、エッセイスト、ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere)

2021年8月9日月曜日

週刊NY生活No.819 5/15/21'宝石伝説40山梨と宝石「宝石を愛する無厭足(むえんそく)サンリオウ」13

      山梨と宝石「宝石を愛する無厭足(むえんそく)サンリオウ」13

 

 宝石の中央に神秘的な十字の輝きが現れるクロスフォーカットは、光のリフレクション効果によるもので精巧な技術が要求される。なぜならわずかでもカットの狂が生じるとクロスが浮かび上がらないのだ。ダイヤモンドの価値をわかりやすくするためにGIA(米国宝石学会)が制定した4C(Carat、Cut、Color、Clarity)のうち輝きを引きだす研磨状態の評価にあたるCutの基準は、一般的に知られているラウンドブリリアントカット(58面体)に限られ、プロポーション(全体のバランス)、ポリッシュ(研磨の良し悪し)、シンメトリー(対称性)の3つを総合して5段階(excellent→ very good→ good→ fair→ poor) にて判断する。それに対して完璧なカットが評価されて特許を取得したクロスフォーカット(46面体)は、すべてのカットがexcellentになる。

 2001年、国内業界で初めて特許を取得した「クロスフォーカット」をきっかけに、サンリオウ土橋氏の会社は非常に大きな転換期をむかえる。国内での売り上げが伸びてそれと比例するように社員も数十人に増えた。「世界的ブランドになるのでは」と、氏のモチベーションは高まり商品を世界で展開する決断を下す。その自信の表れとして2002年、社名をシバドから株式会社クロスフォーに変更。数年後には、香港に子会社を設立して2人の息子たちに任せる(現在はコロナの影響で国内待機中)。ちなみに立ち上げた自社ブランド「Crossfor New York」にてこのカットが施された女性用・男性用のネックレス、ペンダントなどのジュエリー、小物の商品を販売しており、カットが確認できる特殊ルーペも添えられる。

 まるで仏教に帰依した後の無厭足(むえんそく)のようなサンリオウは、「ダイヤモンドよりも輝く宝石は作れないが、輝きをさらに引きだす仕組みは作れないか」と大望に満たされていく。すると「宝石が輝くのは光が反射したときだ。常に石が何らかの作用で動き続ければずっとキラキラと輝き続けるのではないか?」と脳裏に閃きが走る。そして石が動くからくりを昼夜を問わず考える一方で、金型を何度も作ると莫大な費用が生じるため自宅の台所で大根などの野菜をくり抜いて試作する。やがてサンリオウは、試行錯誤の日々を経て鋭利にとがった接合部をもつ丸環でぶら下げた宝石が、己の呼吸や心臓の鼓動などわずかな動きに反応して揺れてると光が反射し続けるメカニズムを生みだす

週刊NY生活No.815 4/17/21'宝石伝説39山梨と宝石「世界で唯一のクロスフォーカットの誕生」12

      山梨と宝石「世界で唯一のクロスフォーカットの誕生」12



 「これまでどこにもなかったもの」を創造する。宝石の輸入商から製品を扱うといった業態転換(1999年)を決断したサンリのオウ(土橋社長)は、ファッションに関わる必要性も感じていた。

 1980年に立ち上げた土橋宝石貿易時代を経て、株式会社シバトを設立した際には社員は5~6人ほどで年商も億単位になっており順風満帆な道を歩んできたが、起業して10年以上が過ぎた90年代にバブルが崩壊。日本の宝石業界は大ダメージを負い、同氏の会社も回収できない資金が発生、売上も最盛期の3分の1までへり経営危機に陥っていく。「宝石の輸入・販売で他社と差別化をするのはむずかしく価格競争になっていく。これからの時代はクリエイティビティ・オリジナリティを発揮して付加価値を高めないとダメだと思った」とサンリのオウは語る。基本的にポジティブ思考な面をのぞかせる氏はものごとに向かっていく強いエネルギーを秘めており、また「成功させたい」という気持ちも強く、その信念は周囲の者に伝わるだけではなく、それに導かれるような現象がおこり、イメージしていることがどんどん具現化していくのだ。宝石を熟知しこよなく愛していた氏の脳裏に「何か世の中に未だない宝石のカット」と浮かぶ。すると、ニュースにて、ダイヤモンドを八角形に仕上げるフランダースカット(1987年、ベルギーのフランダース地方で誕生したその美しい形と通常のブリリアントカットのように光をきれいに反射させる2つの魅力を持ちあわせた完璧なカットだが、原石を通常よりも多く削る勿体なさから普及はしずらい)が1995年、特許を取得したことを知る。そして、氏はいくつものカット形態を考えていた矢先、ダイヤモンドの一番歩留まりがよく、ラウンドブリリアントカットの輝きを創造できるのは、宝石の中に十字が見えるものだと気づく。数年後の2001年、日本で唯一、宝石のカット形状におけるダイヤモンドの切削技法「クロスフォーカット」で特許を取得する。46面体のカットで反射光線の効果を最大に引き出し、石の中に十字の輝きが浮かび上がるとして国内のみならず海外でも話題をさらった。ちなみに、ことわざに「好きこそものの上手なれ」とあるが、開発段階から特許を視野に入れて戦略的に生み出されこのカットは、発案から開発までサンリのオウが1人で行ったというから頭が下がる。


週刊NY生活No.811 3/20/21'宝石伝説38山梨と宝石「サンリオウのrightなlight footwork」11

      
       山梨と宝石「サンリオウのrightなlight footwork」11


「宝石のルースを海外で調達して山梨のジュエリーメーカーに売ればビジネスになる」と確信をもち宝石貿易商として独立を目指した土橋氏は、宝石を輸入するにも専門知識や英語力が必要だと思った。早速GIA(米国宝石学協会)のロサンゼルスに位置するサンタモニカ校(現在ではサンディエゴのカールズバッドに本校を構える)を選び渡米する。成功者のもつ特徴でフットワークが軽く行動力があるのだ。今日に至るもGIAは地球上、ダイヤモンドに関する鑑定機関でトップクラスだ。氏はそのころ英語が全く話せないまま勢いで渡米したため、そのハンディキャップをうめるが如くほかの人の3倍、寝るのも惜しみ毎朝5時まで勉強したという。そして「日々試験があり3回落ちると退学になる決まりがあったと」当時を振りかえる。一般的に米国では、入学するより卒業するほうが難しい傾向がありそれは日本の大学とちがう。ちなみにGIA日本校(現在は閉校)では、ペーパー試験の後に実施される20種類(いくつかのパターンあり)の宝石鑑別にて100点満点を得たものだけがディプロマを授与された。実際に見たことのない特徴を持つ1石が全てのパターンに混入しているのは応用問題で困難を極めるが、それまで学んできた成果を問われる。試験に受かるまで繰り返すシステム(数回後は追加料金発生)だ。余談だが私は2度目でパスできた。

 ところで、世界中から集まる学舎で卒業した土橋氏の交友は広く、同級生のみならず先輩後輩が各国のジュエラーとして活躍しており、現在でもみんなが協力体制のもとに繋がりを持っているという。そのうちのインド人同級生が2年前にタイのジュエリー協会の会長に就任したことは大きな嬉びだと語る。タイのバンコクといえば、ルビーの大半とそのほか多くの貴重な宝石がこの都市から世界中に流通していく宝石主要都市の1つであるのだ。

 帰国後の1980年、宝石の鑑定資格を取得した土橋氏は、現在の社名である「クロスフォー」の前身となる土橋宝石貿易を1人で運営したのち、株式会社シバトを設立するやいなや、年商数億円に達するほど法人化には充分すぎる会社に成長させる。そのころ、今では宝石業界でも一般的な国内外の展示会はなくて宝石のルースを調達するために土橋社長は、自ら海外の原産地に赴いていったという。


週刊NY生活No.807 2/20/21'宝石伝説37「サンリの(宝石)オウ誕生」10

         
         山梨と宝石「サンリの(宝石)オウ誕生」10


 日本が誇る代表的なキャラクターに、向かって右側の耳の付け根にトレードマークである赤いリボンを付けた通称「キティちゃん」がいる。これは山梨県の株式会社サンリオで誕生した猫を擬人化したもので、その可愛いさに世界中の子供たちだけではなく多くの女性が心を奪われている。その昔、私がニューヨークに留学していた頃、週末に放映されていた日本の番組に、サンリオの現社長でもある辻信太朗氏が出演された。なぜキティちゃんには口がないのかとのアナウンサーからの質問に「口は災いの元になることも多く、真の友だちになるのに口は要らないのでは」と答えた。また社名である「サンリオ」の由来に関しては、社長の出身地である山梨の音読み「サンリ」と発音し、山梨県の王を目指して命名したと記憶する。その後キティちゃんは山梨県のやまを飛び越えて世界中のお友だちになっていく。成功するステップは、先ずは心に想い描き、それを口にし、そして行動に移すとあるが、まさに有言実行となった。

 ところで、山梨県といえば世界一の宝石研磨地ドイツのイーダーオーバーシュタインに次ぐ日本の宝石のメッカだ。そこにもう一人のサンリ(宝石)王が現れる。

その方は、ダイヤモンドのカットでもっとも有名な「ラウンドブリリアントカット」に並ぶ、クロス(十字架)のような輝きが出るクロスフォーカットや、宝石の最大な魅力のひとつであるシンチレーション(キラキラと揺らいで輝く)を最大に引きだす石留め方法などを、世界に先立ち生みだした株式会社クロスフォー社長の土橋秀位氏だ。

 山梨県、日蓮宗総本山の身延山久遠寺のある身延の周辺で産声をあげた、どこかしら日蓮大聖人に似かよった土橋氏は、高校を卒業すると一度は宝石と関係のない企業に就職するもわずか2ヶ月で退社。雇われの身が性分に合わず、自立しかないという結論を下したのだ。そして大学に進学するが、在学中に海洋資源の探査などを行う一方で、世界を放浪するような仕事にも憧れを抱きだす。その矢先の東南アジア滞在中「サンリの(宝石)王」への階段を上がって行く(宝石業界に進出)キッカケとなるできごとが起こる。それは、あまりの美しさに心を奪われるような、宝石の原石に遭遇したことだ。「原石を調達して山梨の宝石職人に売ればビジネスになるのでは」と閃いたのだ。