Jewelry sommeliere

自分の写真
NY州立大学FIT卒業。 米国宝石学会鑑定・鑑別有資格(GIA-GG,AJP)。 CMモデル、イベント通訳コンパニオン、イラストレーターなどを経て、両親の仕事を手伝い十数カ国訪問。現在「美時間」代表。今迄培ってきた運命学、自然医学、アロマテラピー、食文化、宝石学などの知識を生かし、健康で楽しく感動的な人生を描くプランナー、キュレーター、エッセイスト、ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere)

2020年6月8日月曜日

週刊NY生活No.768 4/18/20'宝石伝説27カルティエ「パンテールのブローチ」5

                    カルティエ「パンテール(豹)」5

 映画「オーシャンズ」シリーズのなかで、初めて女性たちが活躍する『オーシャンズ8』は、カルティエ至宝のダイヤモンドネックレス「トゥーサン」が要となる。この宝石は架空のものだが、「トゥーサン」とは1933年から1970年にかけて現代ジュエリーに革命をもたらし、カルティエを支えてきた女性デザイナー、ジャンヌ・トゥーサンのことだ。1877年にベルギー・ブリュッセルのレース職人の娘として生まれた彼女は16歳のとき恋人とパリで同棲するも、やがて1人になり生活費を稼ぐためにバック作りをはじめる。そしてカルティエの創業者の孫、ルイ・カルティエにその才能を見出されメゾンで働きだし、彼からジュエリーの知識を学ぶとともにやがて右腕として大切な存在となる。1933年、彼女は、心臓病を患ったルイからハイジュエリー部門の最高責任者に抜擢され、その生涯をカルティエに捧げた。遂には、彼女のニックネームとなる、あふれる大胆さと野性的でありながらしなやかで美しい「パンテール(豹)」を生み出し、それをモチーフにさまざまなジュエリーや時計「パンテール ドゥ カルティエ」を制作していく。彼女は伝統あるジュエリーメゾンのクリエーションを最初に主導したのだ。代表作の一つに、カボションカットされたカシミール産サファイア(152.35カラット)にまたがる立体的なプラチナの豹のクリップブローチがある。当時、ウインザー公爵夫人がこれを身に付けたことで、1950年代は宝石サファイアが再流行したといわれる。
  ルイ・カルティエの弟ピエールが参画してから、カルティエブランドはますます飛躍をみせ、1907年にはロシア皇帝、翌年にはシャム国王の御用達となった。1909年、ピエールは、ロンドン支店を同区のニュー・ボンド・ストリート175-176番地に移転。さらに、アメリカ初上陸を遂げる。ニューヨーク5番街712番地に支店を開いた8年後、5番街653番地にあったモートン・F・プラントの邸宅を最高級真珠の2連ネックレスと交換しそこに移転して現在に至る。
 毎年暮れになると、トレードカラーの赤いイルミネーションの大きなリボンで結ばれたブティックに、人々は目が釘付けになる。一瞬クリスマスプレゼントを貰った気分に浸るのだ。

週刊NY生活No.764 3/21/20'宝石伝説26カルティエ「フラミンゴのブローチ」4

            カルティエ「フラミンゴのブローチ」4
 

 1921年、カルティエは英国のエドワード8世の御用達となる。1934年頃、エドワードが心を寄せていたのは、離婚歴のあるアメリカ社交界の花形ウオリス・シンプソンという女性だった。そのことが、英国王ジョージ5世の崩御(1936年)によって大問題を生じさせる。王位を継承するものは同時に英国国教会(離婚した人間の再婚を認めない)の首長となるのだ。したがって苦渋の決断を迫られたエドワードは彼女を選び英国王位を退き、新国王となった弟ジョージ6世から「ウインザー公爵」の称号を与えられた。エドワードは彼女に数多くの宝石を贈っている。なかでも有名なジュエリーはフラミンゴのブローチ。彼女は所有していたネックレス1点とブレスレット4点を材料として、パリのカルティエのデザイン責任者だったジャンヌ・トゥーサンに提供した。トゥーサンは共同デザイナーのピーター・ルマルシャンとともに、それらの宝石を使い、1940年にプラチナとイエローゴールドの石座にビーズカットされたダイヤモンドをパヴェ(フランス語の「石畳」意味し、ダイヤモンドを隙間なく敷き詰めた石留め方法)セットし、フラミンゴのきらめく体を生み出した。羽と尾にはステップカットされたルビー、エメラルド、サファイアをあしらい、目にはカボションカット(ファセットをつけない円形に研磨した)のサファイア、くちばしはカボションカットのシトリンとサファイヤで表した。やがて絶妙なバランスを保ちながら一本足で立つフラミンゴのブローチを完成させた。エドワードはウインザー公爵夫人となった妻の誕生日祝いにこのブローチを贈り、同時にこの宝石は彼女にとって豊富に所有するジュエリーのなかでも貴重なものになった。1986年彼女が亡くなった翌年、このブローチはサザビーズのオークションにかけられた。その時のサザビーズの責任者デイビッド・ベネットは「フラミンゴのブローチはすぐさま売り上げの鍵となる宝石になりました」と語っている。2019年10月、東京の新国立美術館で開催された「カルティエ、時の結晶」展にて、このブローチ(大きさは10㎝程度)を鑑賞した。まるで水面に揺れながらその体は眩いかぎりに耀き、鮮やかな赤、青、緑色の躍動感ある羽を広げて凛として佇む、華やで気品が漂うフラミンゴに魅了された。

週刊NY生活No.7602/15/20宝石伝説25カルティエ「世界初の男性用腕時計」3

               カルティエ「世界初の男性用腕時計」3

 1902年、ルイ・カルティエはロンドンのニュー・バーリントン通り4番地に支店をオープンし、弟のピエール・C・カルティエに経営を任せる。1904年以降、ルイ・カルティエは祖父(ルイ=フランソワ・カルティエ)より譲り受けたジュエリーへの審美眼や経営のノウハウを武器に、イギリス、スペイン、ポルトガル、ロシアなどさまざまな王室御用達を実現していく。1895年には、宝石を爪留手法で一つだけはめたソリテールリングを発表した以降、プラチナとダイヤモンドによるソリテールはエンゲージリングとして世の女性たちの定番となったが、彼が持つ天性の才能はジュエリーはもとより、礎となる時計にも現れた。宝石工房として出発したカルティエの大きな功績は、世界初の男性向け腕時計を製造したことにある。当時、時刻を確かめるのにポケットから出し入れする懐中時計が主流だったが、彼の友人で飛行士のアルベルト・サントス・デュモンより「操縦桿から手を離さずに時間を確認したい」と腕時計製作の相談を受け、彼の名前をそのまま冠した角型レザーストラップの腕時計「サントス」を製造してプレゼントした。サントスに続き、タンク、パシャ、パンテール、ベニュワールなどの名品を生み出し、今でも定番時計として世界中の人々に親しまれている。一方、1912年以降「時計製造の奇跡」と称される、針がメカニズムに繋がっておらず、クリスタルの中に浮かんでいるような印象を与える魅惑の置時計「ミステリークロック」を世にだす。奇術師J・U・ロベール=ウーダンが考案し、メゾンの時計職人モーリス・クーエが数ヶ月に及び完成させ、カルティエの手で何度も綺麗な装飾が施された。
 2009年、スイスに時計専門の自社工房を設立して、ムーブメントの設計・製造から時計の組み立てを一貫して自社で行うマニファクチュールを開始する。自社の好みやデザインに合うような時計を製造できるが、これを実現するには高い技術力と資本力が要求される。その翌年、新たな男性用の定番となるカリブル・ドゥ・カルティエによって、完全自社製造ムーブメントを搭載した、本格機械式時計を発表する。そしてカルティエは他の老舗時計メーカーと遜色のない時計製造の歴史と技術を構築して行く。ちなみに、名門ブランド時計メーカーのロレックスが創業されたのは1905年だ。