Jewelry sommeliere

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NY州立大学FIT卒業。 米国宝石学会鑑定・鑑別有資格(GIA-GG,AJP)。 CMモデル、イベント通訳コンパニオン、イラストレーターなどを経て、両親の仕事を手伝い十数カ国訪問。現在「美時間」代表。今迄培ってきた運命学、自然医学、アロマテラピー、食文化、宝石学などの知識を生かし、健康で楽しく感動的な人生を描くプランナー、キュレーター、エッセイスト、ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere)

2018年9月1日土曜日

週刊NY生活No.519 1/1/2015「人生の放課後と葬送文化」

                                                                                                                                                                                 
                            人生の放課後と葬送文化

  
  日本では「団塊世代」(1947~49年生まれ)が戦後の高度経済成長を担い、49年生まれが65歳となり4人に一人が高齢者となった現在、彼らが再び経済活性化の中心を担うとされている。内閣府の「団塊世代」の意識調査によると、今の生活にある程度満足している人は67%で、生きがいを感じるのは趣味に熱中している時が一番多くて47,7%、次いで家族団らん、旅行と続く。貯蓄の目的は普通の生活を維持するための42,3%から将来の病気や介護が必要になった時、つまり万が一に備えるための53,9%に増えた。要介護になった場合に希望生活場所は自宅が38,2%、次いで介護老人福祉施設・介護老人保健施設・民間の有料老人ホーム30,2%と続く。だが、子供の家を望むのは0,6%と極めて少ない。というのも、「団塊ジュニア」と呼ばれる第二次ベビーブームに当たる1970年代前半生まれと、団塊世代の子供世代に当たる1970年後半に生まれた彼らは、就職する前後がバブル崩壊時期に直面しておりいわゆる「就職氷河期」に遭遇した「不運の世代」だからである。また結婚しても共働きが多く、親の介護をするほどの余裕がないのだ。
 
 一方、近年では「団塊の世代」をターゲットとしたビジネス、すなわち「シニア向け分譲マンション」「高齢者専用賃貸住宅」「住宅型有料老人ホーム」「療養病床(介護療養型医療施設)」などが盛んになった。どれを選択するかは年金や貯蓄の額によって変わってくる。
 時代の流れとともに家族形態も大きく変わった。国立社会保障・人口問題研究所が2014年4月に発表した「日本の世帯数の将来推計」によると、最も多いのが家族1人(お一人さま)の単独世帯となっており、全世帯の32,4%を占める。少子高齢化、晩婚化、非婚化などが原因である。それに関連して日本の葬送文化も大きく変化した。自宅またはお寺で執り行う葬儀から大型葬儀場に移り変わり、やがて現在のような家族葬が主流となった。「お一人さま」を支援するNPO法人もでてきた。最近は自由葬や自然葬(散骨葬、樹木葬、宇宙葬など)も話題だ。
 
 お墓に関しても、寺院墓地から公園墓地、埋葬スタイルの多様化から個性的な墓石・室内墓地・永代供養墓・ペットと一緒に入る墓などが登場した。仏間に置く伝統型仏壇が欧米化した居住空間に家具調仏壇として置かれる。また、お墓を持たない人や墓参りがままならない海外を含む遠方居住者のために、新しい共養トレンドとして宗派や慣習に縛られない形の遺灰や遺骨の破片を入れるミニ骨壷や、身につけるタイプのジュエリー(遺灰を耳かき程度納める・遺灰でダイヤモンドや樹脂を作る)など、日常的に故人を偲び、手を合わせ語りかけられる手元供養が人気を呼んでいる。一般的に故人に対して「生前」という言葉を使うが、ここに日本人の思いやりの籠った死生観が伺える。地球の1部からなる肉体を感謝を込めてお返しすると同時に、供養という絆を通した愛情により浄化される魂はまた生まれ変わると。


週刊NY生活No.690 8/18/18' 宝石伝説7コ・イ・ヌールダイヤモンド

                         コ・イ・ヌール ダイヤモンド

  「コ・イ・ヌールを持つ者は世界を制し、同時に厄災にも見舞われるが、神と女性のみがその災難から逃れて身に付けることができる」と伝承される、南インドで採掘された最古のダイヤモンドがある。インドの古代叙事詩(マハー・バーラタ)のなかで、この石は五千年以上前から存在しているという伝説がある一方、史実としてはじめて言及されたのは、1526年インドのムガール帝国 初代皇帝バーブルの回想記による。      
   186ctもある巨大なダイヤモンドは、輝きが不十分(当時のお粗末なカット)にもかかわらず、何世紀にも渡り戦争の略奪品(呪われた石)となり、ペルシャ、アフガニスタン、パキスタン、インドなどで帝国を支配するごとに皇帝の象徴として君臨した。
  1739年、ペルシャのナディル王はインドのデリーに侵入し、ムガール王のターバンの中に隠されたこのダイヤモンドを手に入れた。その驚きと喜びのあまり「コ・イ・ヌール(光の山よ)!」とペルシャ語で叫んだことが、石の名前の由来になったという。
  1850年、コ・イ・ヌールは、若干5歳でシク王国(インドのパンジャーブ地方)最後の王位に就いた ドゥリーブ・シンの手元にあった。この石を所有していたそれ以前のマハラジャたちが相次いで暗殺されたからだ。それからまもなく、パンジャーブが大英帝国の支配下に落ちると、シンはこの石をビクトリア女王に献上する。

  1852年、ビクトリア女王の夫君アルバート公は、インド式にカットされた鈍い輝きのダイヤモンドを再度研磨させ、石の大きさは105.6ctと大幅に減ったが、キズも削りとられオーバル ブリリアントカットの美しい宝石に蘇った。そして4つの異なる王冠に嵌められ、アレクサンドラ、メアリー、エリザベスら、歴代の英国王妃たちの頭を飾ることになった。ちなみに、1900年代に入ると、独立したインドやパキスタンが相次いでコ・イ・ヌールの返還を主張しはじめ、2015年にはインドの投資家のグループが返還を求める法的手続きを開始したという。

週刊NY生活No.686 7/21/18' 宝石伝説6黒皇太子のルビー(スピネル)

                      黒皇太子のルビー(スピネル尖晶石’)

  19世紀までルビーだと思われていた巨大な赤い宝石がある。それは、大英帝国の王冠の正面下部に嵌め込まれたアフリカのレッサースターと呼ばれる、有名なダイヤモンドカリナンII‘ (317.4ct)の直ぐ上にセットされた、最上部に小さな天然ルビーをあしらったレッドスピネル(170ct)だ。
  14世紀、全身に黒い甲冑を身にまとい、フランス軍からノワール()の騎士と恐れられたイングランド(イギリス)の黒皇太子(Edward, the Black Prince 1330~1376)は、英仏の間で勃発した百年戦争前期に活躍して数多くの勝利をもたらした伝説をもつ。彼は戦闘のさなかスペインのカスティーリャ王ペドロ1世を支援し、そのお礼にこの宝石(ペドロ1世が、グラナダ王国のムハンマド太子から戦利品として略奪した)を譲り受けた。皇太子の死後、この宝石は後に続く騎士の肌身や兜に付けられ、度重なる戦禍をくぐり抜けて19世紀に大英帝国の第一王冠にセットされ、現在もイギリス王室の守護石となっている。
  古代、並外れた大きさのスピネルの結晶は中央・東南アジアの鉱山で産出され、 “Balas rubies(バラスルビー)”として知られていた。 ICA(国際色石協会)の報告によると、16世紀初頭すでにルビーとスピネルは異なった鉱物であると認識されていたが、一見して鮮明な赤色である双方の宝石は、数百年のあいだ区別されないまま時を経過した。

  スピネルは、ダイヤモンドと同じ八面体の結晶として産出されることがあり、これが小さなトゲを思わせることからラテン語でトゲを意味するスピナ(spina)が転じてスピネルと呼ばれるようになった。ルビーとの明白な違いは、光がルビーに入ると光線が分割し(複屈折性)、オレンジや紫がかった赤色の多色性になるが、それに対してスピネルはすべての方向から見ても同じ色のまま(単屈折性)であることだ。