シャンパーニュとダイアモンド
シャンパーニュを飲む度に、グラスの中でダイアモンドがキラリと光るような気がする。というのも、ダイアモンドが誕生する時と、シャンパーニュを開栓したときに勢いよくボトルからはじけるコルクの状況が似ているからだ。
諸説あるが、ダイアモンドは高温・高圧の条件がそろった、ある限られた地域のマントルと地表の間で育つ。鉱物の中では珍しく炭素100パーセントの成分からなり、その炭素原子は自然界に存在するほかのどの物質よりも硬く結びついている(それで婚約指輪に用いられる)。その後、数億年から数十億年も地中に眠り、マグマの上昇に伴い母岩に包み込まれて勢いよく上昇し、マグマ内の膨張した気体が大部分水蒸気と二酸化炭素になり(シャンパーニュのボトルを振ったときの気体と同じ状態)、この強力な気体の膨張と噴出速度によりダイアモンドが地表に誕生する。もしもダイアモンドが上昇していく旅の途中、圧力が下がった状態で長時間高温にさらされると、これが運命の分かれ道となり、皮肉にもグラファイト(炭)に変質してしまう。
ブッタが悟りの境地について、’’金剛心=ダイアモンドを得た心’’と表現したと言われるくらい、ダイアモンドはすべてを貫く純粋な透明感と輝きを放つ炭素の塊。それが人々の手によりファセットカット(宝石の加工方法)され、7色のスペクトルをすべて包括し光り輝く美の完成に達するまで多くのプロセスを経る。その昔、偶然生まれた泡立つワインから始まったというシャンパーニュ造りも、同じく人々の手により試行錯誤をくり返しながら究極のご褒美になった。ともに、ガイアである地球が生み出したものを、人類が悠久の時を経て完成させた最高傑作であり芸術品だ。
ところで、私が初めてシャンパーニュを口にしたのは、かつてニューヨークに留学していたころ。サンクスギヴィング(感謝祭)当日、隣人夫婦のセカンドハウスに招かれた。素晴らしい欧風の絨毯と織物のソファー、主人の趣味である見事な刺しゅうと置物に囲まれ、暖炉の火がゆらゆらと燃えた、まるでおとぎ話にでも登場しそうな部屋で、勢いよくシュポンと栓が抜かれたボトルから、黄金色の液体がフルートグラスに注がれた。当時は銘柄など全く気にも留めなかったが、彼が取っておきのシャンパーニュだと話してくれたことが頭の片隅に刻まれている。細かくクリ―ミーな泡が途切れることなく、グラスの底から立ち上がってくる不思議な飲み物を口にした時の感動と、アッという間にのどに消えた後にいつまでも続く心地よい余韻は忘れられない。
今も毎年訪れるニューヨークでの楽しみのひとつは、膨大なシャンパーニュがストックされた専門店で、日本では入手しにくい銘柄やお気に入りを買い求め、それとマリアージュする料理を作り、友人らと晩餐を楽しむこと。
ともあれ、グラスに注がれたシャンパーニュを見る度に感慨深くなる。それはロゼを除いた色合いにおいて、「ほとんどが、わずかに黄色味または茶色味を帯びており、ライトイエローが多い」というダイアモンドの価値を決める4C(carat、cut、color、clarity)のひとつであるカラーの定義と似ているからだ。
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