山梨と宝石「宝石の街」2
国石とは、その国家を代表・象徴する石(宝石)のことを言う。それを定める条件として「国産の美しい石で、生活に関わり利用されてきた」などがある。2016年9月、日本鉱物科学会は、1913年に米国の鉱物学者J・F・Kunzが著した本で、日本の国石を「水晶」と記したのを、「ひすい」に選定しなおした。その理由は、縄文時代の遺跡(新潟県糸魚川市)にて、ひすいがたたき石として使用されていたことや、人類初の国内ひすい加工の証しである大珠の発見による。
僅差で準国石となった水晶の代表的な産地に山梨県がある。今から遡ること平安時代の中期、山梨県北部に位置する 御岳昇仙峡の奥地、金峰山周辺から水晶の原石が発見された以降、「宝石の街」山梨の歴史は始まった。同県の水晶がその名を誇ってきたのは豊富な産出量のみならずその素晴らしい形状で、なかでも無色透明で大型の単結晶は類いまれな美しさだった。水晶とは、花崗岩の主要構成鉱物の一つである石英のなかでも透明~亜透明の石をさす。英名である「ロッククリスタル」は、中世後期に無色透明なガラスを作る技術が生まれ、それと区別するためにつけられた名称。水晶は、柱状の形態で地球上で最も多い元素の酸素とケイ素から成り、4面体すべての頂点と隣接する4面体とが共有し三次元的に連なる結晶構造を持つ。
甲府は、江戸時代に入ると京都から職人を招き水晶を鐡板上で金剛砂を使って研磨し、本格的な飾り技術まで発展していく。明治時代には水晶宝飾の全盛期をむかえたが、やがて地産原石は枯渇しいったんは廃業を余儀なくされる業者が現れる。それゆえ原石を海外から輸入することになったが、長い歳月を経て培われた高度の研磨加工技術はさらに磨きをかけ、現在に至るまで継承されている。1980年後半~1990年代初頭、バブル景気とともに国内の宝石の需要は高まっていく。それに従うように、宝石のカットや加工技術も卓越した宝石大国のインド(18世紀までダイヤモンドの主要産地)から宝石商が甲府にこぞって訪れた。その後、日本の宝石マーケット市場の縮小に応じて、商売を国内から世界を相手にするシフトに切り替え、今なお国内外の1000社を超える業者が甲府に集結し、卓越したジュエリーを海外に発信している。