Jewelry sommeliere

自分の写真
NY州立大学FIT卒業。 米国宝石学会鑑定・鑑別有資格(GIA-GG,AJP)。 CMモデル、イベント通訳コンパニオン、イラストレーターなどを経て、両親の仕事を手伝い十数カ国訪問。現在「美時間」代表。今迄培ってきた運命学、自然医学、アロマテラピー、食文化、宝石学などの知識を生かし、健康で楽しく感動的な人生を描くプランナー、キュレーター、エッセイスト、ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere)

2018年4月12日木曜日

週刊NY生活No670 3/17/18' 宝石伝説2ドム・ペドロ

                                     ドム・ペドロ

  “ It was love at first sight ! ” B.ムーンシュタイナー(「ファンタジーカットの父」と知られる先祖代々宝石研磨職人)は、まるでキラキラ光るわずかに緑がかった透明な青い海の一部をそのまま一瞬にして凍結したような、類まれな大きさのアクアマリンの結晶を目の前にしてこう驚嘆した。
  この結晶は、1980年代にブラジルのミナス・ジェライス鉱山地域で発見されたが、採掘者が誤って地面に落とし3つに割れたうちの1つ(長さ60cm重さ27kg)である。そのかつてない大きさ、宝石品質、色合いに感銘を受けたドイツの宝石商ユルゲン・ヘンは共同事業体を作って、ドイツのイーダー・オーバシュタインの至宝ムーンシュタイナーのところに結晶を持ち込んだ。ちなみにここは昔からメノウの産地で、17~18世紀に貴族の間で流行したメノウ彫刻が盛んに行われ、その技術は今でも門外不出と言われる。19世紀に入り、ドイツ人の几帳面で正確無比の素晴らしいカットの腕前が功を奏し、世界でも有数の宝石研磨の街に押し上げた。
  結晶に心を奪われたムーンシュタイナーは、結晶自体の勉強に4カ月ほど掛け、さらにこの結晶のファセットパターンを何度も描きなおし、カッティングから最終仕上げのポリッシングに至るまで半年を費やした。そして遂に高さ約35cm、底の幅約10cm10.363ctの古代エジプトの太陽神を象徴する石柱「オベリスク」のような宝石の彫像を完成させ、この結晶が産出されたブラジルを19世紀に支配した2人の皇帝にちなんでドム・ペドロと命名した。
  現在、アメリカワシントンD.Cのスミソニアン国立自然史博物館に展示されているドム・ペドロを正面から見ると、宝石全体に光が反射して屈折する様子が内部から光るように見える。まるで澄み渡る青い海原が、幾何学的に処理された太陽や月の光反射を受けて輝いているようだ。これこそムーンシュタイナーがアクアマリンの結晶に、人生を捧げたオマージュの結晶だ。


週刊NY生活No666 2/17/18' 宝石伝説1ホープ・ダイヤモンド

                            ホープ・ダイヤモンド

   数年前、世界最大で名高いブルー(ホープ)・ダイヤモンド(1958年NYの宝石商のハリー・ウインストンが寄贈)を目指してアメリカ ワシントンD.C.にあるスミソニアン国立自然史博物館を訪れた。見事なカットが施されたダイヤが連なるネックレスに、同カットのダイヤで囲まれたペンダントヘッドが、四角いガラスのケースに鎮座して数秒ごとに東西南北を移動する。そのたびに放たれる目の眩むような脇石(ダイヤ)の煌めきと、主役のブルー・ダイヤモンド(無傷)の見事な大きさ(45.52ct)には圧倒されたが、残念ながら色合いはグレイがかった暗いブルーで、期待していた鮮明な濃いブルーではなかった。
  諸説あるが、この宝石(約112.50ct)は、9世紀頃インド南部で農夫により発見されたその時から所有者の血を流してきた。17世紀に入り、ヒンドゥー教寺院に祀られた神像の眼に嵌められたこの宝石が盗まれ、僧侶は所有者に呪いをかけたという。フランス人タベルニエが国に持ち帰り、その後リカットされて(67.12ct)ベルサイユ宮殿の王家の人々を虜にした。その1人、王妃マリー・アントワネットが断頭台の露へと消えたことは有名だ。宝石はヨーロッパを駆け巡り、ホープ・ダイヤモンドの名前の由来になったイギリスの実業家ホープが所有したものの、相次ぐ災難に見舞われた。その後、アメリカに辿り着いた宝石ホープ=『呪いの宝石』の現在進行形に終止符を打ったのがウィンストンだ。
  本来、美しい青色で妖艶な輝きを放つ大きな宝石は、所有する者を翻弄して剥き出しになったその強欲の汚れた魂を吸収する毎に明彩度が落ちていったのではないかと思われる。

  通常ダイヤモンドの約3分の1は紫外線を当てると様々な蛍光色が現れる。その光源を断っても残存するのが燐光(赤か青)で、この宝石のように1分以上に亘って発するのは珍しく、現在に至ってもその原理は解明されていないという。実際にその写真を見たが、まさに血の赤色だった。