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津延美衣(つのべみえ)NY州立大学FIT卒業。米国宝石学会鑑定有資格者(GIA-GG,AJP) 運命学・自然医学・アート・アロマテラピー・食文化などの知識を元に感動的な人生を描くプランナー・エッセイスト・キュレーター兼ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere) 美時間代表。

2026年6月8日月曜日

週刊NY生活No.1031 11/15/25 宝石伝説94縁起物と宝石「琵琶湖の竹生島八臂弁財天(宝厳寺)」14

       縁起物と宝石「琵琶湖の竹生島八臂弁財天(宝厳寺)」14


 滋賀県の琵琶湖北部の島、竹生島明神と弁才天が宝厳寺と都久夫須麻神社に分かれて祀られるようになったのは明
治時代初期の神仏分離令以降のこと。それまで竹生島では平安時代から近世まで神仏習合の信仰が行われていた。それを物語るように、寺の本堂である観音堂は直接2本の渡り廊下で都久夫須麻神社の本殿と結ばれ、両者がもともと不可分の関係であることを示している。奈良時代、神亀元年(724年)宝厳寺は開山した僧の行基により国家安泰、五穀豊穣、万民豊楽のため開創された。天平三年(731)聖武天皇の夢枕に大内裏に示現し、天皇の命により行基が天照大神の長男にあたる天忍穂耳命(あめのほしほみみのみこと)と大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命らを祀ったのが始まりとされる。弁財天の由縁は、仁明天皇の承知元年(834)に慈覚太師が久しく眼病を患って悩んでいると天女が枕元に立って「我こそ竹生島の弁財天であるが、この薬を用いよ。そして我が姿(小像)をここに残して置くからこれを竹生島に祀れよ」と告げられ、目がさめて与えられた薬を服用すると眼病は立ちどころに平癒した。感激した慈覚大師が竹生島に祀ったその御本尊となる弁財天像は身丈約18cmの秘仏といわれ、普段は非公開で60年に一度公開(次回の開帳は2037年)されるという。現在お寺に行くと拝める弁財天はその分身にあたる。また宝厳寺は日本三大弁財天の中でも最も古い歴史を持つことから唯一大弁財天と称される。「江ノ島与願寺」(現在の江ノ島神社の前身)、「宮島(厳島神社)」も竹生島の影響を受けて創建され多くの武将や人々から信仰を集めて、さらにその影響は各地の弁財天へと広がった。宝厳寺は中世、豊臣秀頼による火災後の復興があったが、明治時代の神仏分離でしばらく本堂が失われた状態が続くも信者の強い要望などがあり廃寺の危機を乗り越えてきて1942年に現在の本堂が再建された。その本尊である弁財天は、『弁天5部経』『金光明最勝王経』などから推すと八臂弁財天で、その手には矛・宝珠・輪宝・弓・宝杵・鍵・矢・剣をもち、頭には宝冠を戴く宇賀神、鳥居(ない場合も)を頭上に載せた日本独特の宇賀神弁才天となる。

その手にもつ輪宝は元はインドの神様の宝物で、スピリチュアルな問題から身を守ってくれるという。


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