Jewelry sommeliere

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NY州立大学FIT卒業。 米国宝石学会鑑定・鑑別有資格(GIA-GG,AJP)。 CMモデル、イベント通訳コンパニオン、イラストレーターなどを経て、両親の仕事を手伝い十数カ国訪問。現在「美時間」代表。今迄培ってきた運命学、自然医学、アロマテラピー、食文化、宝石学などの知識を生かし、健康で楽しく感動的な人生を描くプランナー、キュレーター、エッセイスト、ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere)

2019年1月26日土曜日

週刊NY生活No.702 11/17/18' 宝石伝説10故宮博物院「肉形石」

                           故宮博物院「肉形石」

  中国の歴史に一石のみならずニ石を投じた世界的にも有名な豚肉料理がある。1079年、中国北宋代の政治家・詩人・書家の 蘇軾(そしょく)は黄州に左遷され、「晴耕雨読」の生活を送りながら当地の豚肉を称えその醤油煮を考案した。また黄州にちなんで彼は東坡居士と号した。北宋第6皇帝の神宗(しんそう)が没した後、彼は中央政界に復帰するが政争に巻き込まれ1089年、再び今度は杭州に左遷される。地元に貢献した彼は、お礼に豚と紹興酒を献上され、得意の豚肉の醤油煮を作り人々に振る舞った。それを絶賛した人々が料理を蘇軾の号から「東坡肉 (トンポーロー)」と名付け、その後料理店でも定番となり現在に至る。調理法は皮付きの豚バラ肉を酒、砂糖、香りづけに八角を加え醤油で煮詰める。これが一石めだ。
  ニ石めは、子供の拳くらいの大きさで、テリのある飴色のプルプルとしたゼラチン質の皮の下に、今にも崩れそうなほど柔らかくなったぶ厚い脂身と、わずかな赤身の層が重なる、どの角度から観ても本物そっくりの東坡肉で、「肉形石」の号を持つオブジェだ(作成は清朝時代)。故宮博物院の翡翠白菜の並びに展示され、小腹の空いた人を次々と誘惑する。
  オブジェに使用されている石は「カルセドニー (玉髄)」 の仲間である「ジャスパー (碧玉)」と記されているが、この石は不透明で湾曲の縞がないことから、同族の透明度も湾曲の縞も有する、「アゲート(瑪瑙)」であると推測される。ただし、ジャスパーという用語は、特定の命名がされていないカルセドニー全般に用いることがあるので間違いではない。
  カルセドニーは水晶と同じクオーツファミリーの鉱物で、あらゆる地域で採取される最も安価な半貴石だ。

  先の蘇軾は東坡肉を「金持ちはこんなもの食おうとしないし、貧乏人は煮ることを解しない・・・自分で満足できれば他人がとやかく言うことはない」と詠った。美味なそれと、本来なら金持ちが見向きもしない石に加工を施し「宝の石」に蘇らせた作者不明の「肉形石」に妙な共通点を感じるのだ。

週刊NY生活No.698 10/20/18' 宝石伝説9故宮博物院「翡翠白菜」

                          故宮博物館「翡翠白菜」

   日本でも馴染み深い結球白菜の原産地は中国北部で、端正な砲弾形をした葉色は白から緑のグラデーションの柔らかく淡白な味わいの特有な野菜だ。もうひとつ、中国だけではなく世界が誇る食べられない結球白菜が存在する。それは滅多に産出されない質の高い大きな硬玉(翡翠)の原石に、その色彩の分布の違いを活かした「俏色(しょうしょく)」という技法による彫刻を施し、見事に白菜を再現したものだ。
  諸説あるが、中国の清王朝の末期に君臨した第10代の皇帝 光緒帝(こうしょうてい)の妃となった瑾妃(きんひ)が宮廷に輿入れするとき、その頃中国南部の広州を治めていた瑾妃の実家・他他拉(たたら)氏は長叙の彼女のために、上部には子孫繁栄を込めてイナゴとキリギリスを彫り込んだ翡翠白菜(作者は不明)を持たせた。中国で結球白菜は清純潔白を象徴する特別な野菜とされる。良質な翡翠原石が現在でも産出されるミヤンマーと山岳地帯続きの中国雲南省は、広州と距離も近いのでこの原石を入手できたと思われる。
 1888年、妃として北京の宮廷に入った瑾妃は紫禁城の永和宮を住まいとし、当時の政局動乱のなか(実質的な権力を振るっていたのは西太后)、一時は西安に避難するものの翡翠白菜を手放すことなく生涯を閉じ、その後この至宝は中国各地を転々とする。1948年、中国国内で始まった国共内戦で敗北濃厚となった蒋介石率いる中華民国政府は、翡翠白菜をはじめ逸品三千点を台湾に輸送して、台北市に建てた国立故宮博物館に収蔵した。

    展示されている翡翠白菜は、手を広げた程度の高さで実際の白菜より小ぶりだが、鮮明で半透明な白から緑の色合いの葉に、息づかいさえ感じさせる妖艶なイナゴとキリギリスが潜んでおり、その秀麗さに時の経つのも忘れる。地球上の無機質の貴石(翡翠)と有機質の白菜と昆虫を融合させた、宇宙の創造主への最高なオマージュではないかと思わず手を合わせた。