マリー・アントワネットのダイヤモンド・イヤリング
フランス革命が起こる前「アンシャン=レジーム」と呼ばれる、ブルボン王朝期の絶対王政下による社会・政治体制があった。聖職者・貴族の豪奢な生活と、戦争などの軍事費の増大による厳しい経済状況下、歴史的な小麦の不作も起こり、そのしわ寄せはすべて平民に押し付けられた。そのさなかベルサイユ宮殿内では豪華絢爛な生活が頂点を極めていく(現在、博物館などで鑑賞できる世界的にも貴重な宝飾品や美術品の背景には、皮肉にもそうした贅沢極まる文化が必ず存在する)。その渦中、フランス王ルイ16世に嫁いだオーストリアの女帝マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットは、現在に至るもファッションに影響を与えているが、当時は「赤字夫人」とあだ名を付けられるほど服飾や宝石をこよなく愛した。
現存する宝飾品で最も有名なのは、1774年、王位についた夫のルイ16世から贈られた、宮廷お抱えの宝石細工師ボーメールとバッセンジらの手によるペアシェイプのドロップイヤリングだ。片方は20.34ct、もう一方は14,25ctと大ぶりで華美なダイヤモンドは彼女のお気に入りとされたが、身長が154cm(推定)と小柄な彼女には大きすぎたのではと思う。それから約20年後、まるでベルサイユという華麗な舞台で人形劇の主役を演じてきたようなマリー・アントワネットは、ギロチンの露と消え悲劇のヒロインになる。
彼女の没後60年、このイヤリングはナポレオン3世から皇后ウジェニーへ贈られ、その後ロシアの公爵夫人に渡り、1928年ピエール・カルティエが購入してマージョリー・メリウエザー・ポスト夫人に売却した。そして1964年、彼女の娘によってアメリカワシントンDCのスミソニアン博物館に寄贈される。
ちなみに、歴史的にも有名な宝石を数多く所有し、スミソニアンに相次ぎ寄贈したポスト夫人は、フロリダ州パームビーチにある現大統領のD・トランプ氏の所有する別荘「マー・ア・ラゴ」(アメリカ合衆国国定歴史建造物)を建設した人物でもある。