山梨と宝石「歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』とジュエリー」21
江戸時代中期1701年元禄14年3月14日、江戸城内松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が吉良上野介を刃傷(にんじょう)に及んだことに端を発して、加害者の浅野は即日切腹、お家取り潰しとなった。その結果を不服とする家来の大石内蔵助と四十七浪士は、主君の仇討ちとして元禄15年12月14日、未明に本所・吉良邸へ討ち入りし首級をあげたその後、切腹に至った一連の事件を総称して「赤穂事件」と呼ぶ。主君の遺恨を晴らすべく命をかけた行動は民衆から喝采をもって迎えられたのは、忘れかけていた武士道を体現した一方で、当時の人々が幕府のやり方への理不尽さを日頃から抱いていたのではと思う。
赤穂浪士の討ち入り後、事件ものを扱った物語がいく度となく人形浄瑠璃、歌舞伎などで作られた。そのなかで白眉となったのが1748年、大阪にて初上演した人形浄瑠璃の演目「仮名手本忠臣蔵」で、(ひら仮名47文字=赤穂四十七士、諸説あるが、武士の手本となる忠臣らと大石内蔵助の「蔵」をかけた。主のために命懸けで仇を討ったヒーローたちへのオマージュも感じる)絶大な人気から歌舞伎にリメイクされた。また史実を扱うことから、幕府のお咎めを避けるためその時代設定は室町時代にし、登場人物の名前もすべて仮名にした。
さて、全十一段に及ぶなかの重要人物は、高武蔵守師直=吉良上野介に対し、刃傷事件を起こした塩治半官高定=浅野内匠頭と、浪士とともに仇討ちを念入りに計画・実行した大星由良之助=大石内蔵助だ。物語には「南無阿弥陀仏」の来世での幸せを信じるせいか命を尊ばない場面も多く、その背景にはどうにもならない貧困があったのではと思わせる。また、それに巻き込まれて翻弄される人々の、笑い・涙・人情・悲劇が展開する。そんななか、顔世御前(浅野の正室)に仕える腰元だった「おかる」は、のちに夫となる塩治家の家臣である勘平(気の毒にも誤解と勘違いから切腹に追い込まれる)の資金繰りのため自ら遊郭に身を売ってしまうが、恋人のために奔走する行動力をともなった一途さは凛として輝く。それを表現したジュエリーが、歌舞伎俳優 市川九團次プロデュースによる(株)クロスフォーのブランド【花ひらく】シリーズの商品名「矢絣」「恋一途」として蘇った。