Jewelry sommeliere

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津延美衣(つのべみえ)NY州立大学FIT卒業。米国宝石学会鑑定有資格者(GIA-GG,AJP) 運命学・自然医学・アート・アロマテラピー・食文化などの知識を元に感動的な人生を描くプランナー・エッセイスト・キュレーター兼ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere) 美時間代表。

2015年3月20日金曜日

週間NY生活No.522 1/31/2015「人生の放課後1」

 団塊世代「できた子供」は「できた大人」となり、今現在も日本経済を引率

   なぜベビーブームが1947年~49年の3年間だけに集中したのか?それまで刑法の「堕胎罪」が有効であり、当時「できた子供」は漏れなく産まれたからだ。その後世界に先駆けて妊娠中絶を認める法律が成立したのだが、皮肉にも未だに続く人口減少の一要因になっている。 
   彼らは幼少の頃から大家族の中であらゆる知恵を自然と吸収し、同時期に教育による知識も身に付け、やがて日本の高度成長期を担う主役となって躍りでた。終戦後の昭和の貧しくても良き時代に育った彼らの胸は期待と希望で満ちあふれ、日本の社会に弾け飛んだ。2005年、国勢調査の結果を元に、巨大なボリュームの人口にあたる「団塊世代」の退職者が発生するという「2015年問題」などが揶揄されてきたが、現実には多くの企業が「継続雇用制度」を導入したことにより、60代年齢層の労働力が上昇してきた。かたや民放でも毎週、職人技を貫き通した伝統工芸品や、町工場にて国内外に向けた精密な部品を製作する「日本の職人さん」を紹介する人気番組がある。世界経済時計があるとすれば、華やかな時を刻むのは大手有名メーカーで裏でそれを支える要になっているのは彼らだ。後継者不足に悩みつつ、作業に入ると目も鋭くごっつい手が器用に動く。その傍ら家族を思いやる優しい眼差しは、既に他界している両親にも向けられ、仏壇で手を合わせる大きな背中には「できた子供」が垣間見られる。今後の超高齢社会を先導する役割、雇用、就労など社会参加の活動などにおける彼ら「できた大人」の活躍が期待されているのだ。

2014年1月16日木曜日

魔法の粉


 毎日の生活の中で食べるということは生きているうえで一番大切なことだ。わたしたちは他の生きものたち同様、地球上で育まれるものを分けて頂き命を全うして大地にその身を還元する。食べることはわたしたち人間にとって、楽しみでもあり他の人とのコミュニケーションを促すものでもある。
 家で食事を作るとき、もととなる食材を得る方法も本来なら自給自足が理想だが、残念ながら東京の中心地に住んでいる人たちにとってそれは容易ではない。産地直送に頼るかスーパーや専門店で調達するほかないのだ。まして完全無農薬のオーガニックの野菜や果物を手に入れることは難しい。商品として出荷するうえで多少の農薬は欠かせないようなのだ。それくらいならまだ良いが、実際にはものによって農薬が随分使用されていると思われる。
 十年くらい前だろうか、経営コンサルタントをされている方のの講演会に行った時のことだ。その舞台の上で、ホタテの貝殻から生み出された魔法のような粉が紹介された。
(ホタテ貝の身を取り除いた貝殻は大量の廃棄として処分されるのだが、1トントラック1台あたり十数万円かかるとのことで頭を抱えていたそうだ。そこである方が、それに目を付けて研究に研究を重ねた結果生み出された代物。)その粉を溶いた水槽のなかにワックスのついたオレンジやグレープフルーツを入れると、瞬く間にギトギトとした油のようなものが浮いてきた。ワックスだけでなく農薬も浮いてくると話をされたのを覚えていた。
 そして偶然にも数年前、その商品かどうかは分らないが「農薬やワックスを取り除くホタテ貝殻パウダー」というのを手に入れた。それ以来購入した野菜や果物をその粉を溶いた水に浸けておくのが習慣になった。
 野菜の中で油のようなものがとくに浮いてくるのは、キャベツ、かぶの葉、セロリ、ピーマン、きゅうりなど。一番ショックを受けたのがそのまま洗って食べるイチゴとアメリカンチェリーだ。油のような膜で水面が覆われてしまうのだ。昔の話になるが、わたしの大好きなイチゴをその時期になると母が買ってくれて、毎日のように一パックずつ食べていたことを思い出すとぞっとする。
家食は食材と調味料そして水も吟味できるし、安心で美味しくある程度満足なものが食べられる。わたしの場合、買い物に行って食材を見てからレシピが決まる。思いつき我流按配料理。これからそれらをたまに紹介したいと思う。




2013年4月17日水曜日

『わりなき恋』を読んで


『わりなき恋』を読んで

 物語は、ヨーロッパを中心とする諸国を舞台に、人道的視点でそれぞれの文化や、歴史的変遷を分かりやすく映画で繋いでいく優秀なドキュメンタリー作家の伊奈笙子と、出発ぎりぎりで乗り込んできた、還暦前の、世界中を飛び回るエリートサラリーマン、九鬼兼太との成田発パリ行き飛行機のファーストクラスで隣り合わせになったことから始まる。
 長距離のフライトでは、誰もが狭い機内のわずかながらのプライベートと開放感を期待して、隣が空席であることを願うが、笙子もその一人だ。ところが、突如隣席を占領した兼太の旅慣れたスマートな振る舞いに、笙子は不意をつかれる。現在形から始まった二人の会話はいつしか世界情勢や文化的な共通点へ発展してゆき、到着前には連絡先を交わすまでの現在進行形に変化していた。
 その後二人は、多忙なスケジュールの合間をぬって逢瀬を重ねていく。そこには、笙子の奥ゆかしい凛とした日本女性の根っこを感じさせる建前と、恋愛大国パリ生まれを匂わす本音が見え隠れする。古希を迎えようとする彼女に何度も訪れる迷いと悩み。そのたび自問自答する時に、本音の部分を語るもう一人の笙子では?と憶測してしまう、友人の砂丘子が登場する。
 未亡人笙子の、一回り年下で妻子持ちの兼太との、理屈や分別を超えたどうしようもない「わりなき恋」は、女としてデクレッシェンドする灯火に、拡散燃焼を起こした。燃え尽きようとする寸前の、乱流を伴った妖艶な明るさが加速していく。その反面、お互いの修正も矯正もできない、確固とした道のりがすでに出来上がっている現実から、笙子のこころの奥底は、光を発していない温度の低い炎の中心のようだった。
 結果的に、二人の最後の小旅行になったのが、笙子のリクエストでもあった、ウイーンにあるヴェルヴェデール宮殿にクリムトの絵を見に行くことだった。
 「接吻」「ダナエ」に代表されるやクリムトの描くエロティシズムの世界は危険な官能美の世界に溢れている。描かれている女性は、性的感情に満たされ、自らエロスに支配されることにより、身にまとってきたものすべて取り払い、自らの本能を通じて、純粋に真の自分自身を感じているように見える。
 作品の前で、無言のままじっと見つめる笙子。まるで、描かれた女性に自分を重ねるように。
 笙子は「デラシネ」を、引っこ抜いた根無し草と訳すことに前から反発を感じていた。それは、家庭という根を下ろすところは無くても、浮き草のようにみずみずしく生きていく選択もあるからだ。
 気持ち良さそうに人生を謳歌しながら漂う、女の性を包括する魅力溢れる人間。そんな笙子に最後まで翻弄されたのは、兼太だけではない。私たち読者だ。
 

2012年6月1日金曜日

まな「天から授かりし食べ物」にまなぶ

先日長野県に住む姉から、たらの芽、こごみ、本せりなど春の芽が届いた。包まれていた新聞紙を広げると、初夏の香りが。栽培ものとの違いは一目瞭然だ。形がそろっていて健康優良児のように見えるか。または油絵の具でしっかりと描きましたといった感じを受けるか。届いたものはそのどちらにも当てはまらない。かたちはふぞろいで、色合いは水彩画のようにやさしく奥深い。

わたしたちは昔から旬のものを食べ、知らないうちに体の中のミネラルバランスを保ち、健康なからだを手にしてきた。食欲の秋には、秋刀魚を代表とする青魚や木の実のほか、カルシウムの豊富な栄養成分をたっぷりと。冬になると、その貯蓄してきたものを保ち、またからだを温めるために塩分や根菜類を。そして春になると、からだに溜めこんできた老廃物をだすために、マグネシウムの豊富な春の芽などを摂る。夏に入ると、根菜とは逆の、大地から太陽向かって成長するカリウム成分たっぷりの野菜や果物をとり、からだの中の水分や体温のちょうせつをはかる。
春夏秋冬の、秋(カルシウム)、冬(ナトリウム)、春(マグネシウム)、夏(カリウム)ミネラルサイクルが、わたしたちにとって季節に応じた大切な役割をになってくれているのだ。

とげが痛いたらの芽
ところで食べ方だが、たらの芽は天ぷらにするのが王道。また、韓国風チヂミ(お好み焼き)に使用するネギの代わりに、ざっくりと切っていれると、ほろ苦うまみがチヂミのかわの香ばしさとマッチして美味しい。それにヤンニョムジャン(韓国のたれ)をつけるのだが、さっぱりと食べたいときは、だし醤油に刻んだ青唐辛子と麹を入れて寝かせておいた特製醤油のなかに、少しお酢を入れたものをつけて食べる。すると、「塩味」「酸味」「甘味」「苦み」そして「旨味」が加わり、口の中でヒュージョンが起こる。そこにシャンパンが参加すれば感動はいっきにのぼりつめ、そして食の道へと流れ込む。
あと、あればのはなしだが、大きめに刻んでレモン汁をかけておいたヤーコンと、粉をまぶしてあげ焼きにしたたらの芽を京風だししょうゆであえる。すると、ちょっとした一品料理になる。


清水が流れているところに自生している本せりは姉が採ってきたものではなく、ご近所の方からのおすそ分けとのこと。八百屋さんに並ぶせりとは違い、12〜3センチと小さい。
よく松茸や自然薯など採れるところは誰にも言わないというが、この方も秘密にしているらしい(苦笑)。わたしのお気に入りの食べ方は、やはり韓国風ナムルだ。根っこの部分をのこしてさっとゆでる。そして、すりおろしたニンニク・ごま、白しょうゆで和え、最後に焙煎ごま油を入れてまぜる。(食欲をそそる匂いのする調味料に、まずはしょうゆ、そして、ハーブや香辛料を加えたいろいろなソースなどあるが、殆どは調理による化学反応により、よい匂いがしてくる。
ところが手絞りの本格焙煎ごま油は、ふたを開けたとたん、おなかの中のチャイムが鳴り響くくらい、ふくよかで香ばしい匂いがあふれだす)せりの香りとごま油の匂いは、よくマリアージュするようだ。


本当にこごんだ形の
若葉のこごみ
昨年の今ごろ、母と姉のところに遊びに行った時、こごみを探しに山へ行った。考えることはみな同じで、ほとんどが誰かに採られたあと。「もう帰ろうか」と姉と声が重なったときだ。右前方に若草色にもえるこごみの原生林がでてきた。霧の中、泥に足を取られているのも忘れ、小高い丘を上って行った。すると、成長しきったこごみの葉の間から、先がくるりと丸まったお目当てのこごみがちらりと顔をのぞかせた。気付けば姉は、まるでアフリカの原住民が数キロ先の獲物が見えるごとき、こごみながらつぎつぎと手提げ袋にこごみを放り込んでいる。わたしも夢中になり採ったが、結果は言うまでもなく、雲泥の差さに。
その晩、さっとゆでて、しょうゆとマヨネーズを無造作にかけ、口いっぱいにほおばった。柔らかく、野菜とは違う何とも言えない食感の妖精は、からだのひとつひとつの細胞にとけ込んでいく。そのときよみがえった言葉は「マナ」だ。

ヘブライ語で、天から授かりし食べ物のことを「マナ」という。旧約聖書のなかで、モーゼが民を引き連れ、エジプトからカナン(パレスチナ)に向かっていた道中、食料が尽きて困っていたところ、天から啓示を受けたものを食べて、目的地まで到達したとある。
その食べ物は、カイガラムシの排泄物が乾燥したものとか、りんごのような果物や実であったとか、諸説あるが、わたしは、このときの「マナ」は藍藻類の乾燥させた藻では、と思っている。

この藻の原形は、約30億年前に出現していたといわれている。熱帯地方の湖に自生する濃緑色の単細胞微細藻類で、昔から原住民の貴重な食料源になっているそうだ。分かりやすくいうと、茶会席や精進料理に欠かせない水前寺のりの仲間。生育に欠かせない条件は、人の体温くらいの温度と、降り注ぐような太陽エネルギーだ。一般の微生物が棲めないような、高い塩分濃度やアルカリの性の湖でも自生できるため、雑菌がいない。さらに、栄養面でもすぐれている。必須アミノ酸が豊富なたんぱく質や、抗酸化作用のあるβカロテン・ゼアキサンチンなど多く含まれ、将来の食料源としても注目されているしろもの。因に、これを顕微鏡で見ると、人間の遺伝子のような螺旋状になっている。

お釈迦様が菩提樹の木の下で悟りを開く大きなきっかけとなったのは、あらゆる苦行のなか、最後におこなった断食だといわれている。あと少しで命が尽きるといったやさき、通りすがりのスジャータと名のる村娘が差し出した乳粥でその危機を脱したそうだ。
乾燥により、しなびてこうべが垂れてしまった植木に水をやると、みるみるうちに回復してピンとなる。お釈迦様が乳粥をすすると、もはや細くなっていた食道に一筋のミルクロードができ、からだのすみずみまで浸透していったのでは。そして少しずつ生気がみなぎってくるわれに、食べるということの大切さを再認識「学んだ」したのでは?どんなに過酷な苦行を繰り返しても死んでしまったら、まことの境地を切り開きたい思いは実現しない、と確信したのだ。「乳粥」はお釈迦様にとって、「マナ」だったのではと思う。

食べない飲まないという行為は、一歩まちがえれば死に直結する。哺乳動物ぜんぱんに共通することだが、赤ちゃんは生まれてからすぐ誰から教わったわけでもないのに、お母さんのおっぱいをまさぐりすい始める。そして、生後6ヶ月くらいまでこれだけですくすくと成長するのだから。まさに、「天から授かりし(お乳)食べ物」。これは「マナ」だと思う。
また、お母さんの肌に触れながら、加減をつけてすうことにより、おなかを満たす(わたしのはるか遠い記憶にもある)。このことは、生まれて初めての「学び」ではないかと思う。だから、「学ぶ」の語源をしらべると、「真似ぶ」「まねる」とあるが、そうではなく、わたしの勝手な見解だが、「学ぶ」は「マナ」が語源だと思っている。

それと、「最初に言葉ありき」という格言があるが、一般的に万国共通、赤ちゃんが初めて言葉として発するのは、「マンマ」だと言われている。欧米では母親がじぶんのことを呼んでいると思いその語源になり、日本では、おなかがすいたのでは?との思いから『マンマ』=食事の意味になったと聞いたことがある。

おそらく、モーゼ(旧約聖書の)も天からの啓示を受けて食べ物を手にした時、思わず「マンマ」に近い言葉(お母さん)と叫んで、空を見上げたのでは?それで、「天から授かりし食べ物」のことを、『マナ』(Manna)と言うのではないかと、わたしは思うのである。













2012年2月15日水曜日

ニューヨークメトロ(迷都路)


 ニューヨークの地下鉄は24時間動いており、時間帯によってはお勧めできないが便利でもある。ところが、土日などローカル電車がとつぜんエクスプレスに変更することがあり、路線図とアナウンスを目聞きしていないと、とんでもないことになる。
ある日のこと、元World Trade Centerに行ってみようと電車に乗り込んだ(むろんローカルであることは確認)。すると、目的地を通り越し、アッという間にブリッジを渡りブルックリンに。スカイブルーの空にマンハッタン特有の高層ビルディングが視界に広がり、ちょっとした観光気分に(笑)。橋を歩いて戻りながらムービーでも撮るかなんて、呑気にコウソウをビルトしたのも束の間。あれよあれよという間にマンハッタンから遠ざかり、同じニューヨークかと思えないほど廃れた、冷たい空気のよどむトンネル内のホームに到着した。その中に溶け込みそうなローカルの人たちがポツリポツリと見えたとたん、足早く逆のホームへむかっていた。
やっと目的地の元World Trade Center前に到着。忘れてはならない悲惨な汚点がどのくらいか、この広大な土地に匹敵する大きさだと感慨深く思いきやすでに、悲劇のトゥインを追い越すくらいの新参者が頭上にそびえているではないか!
 用事を済まして外に出ると、空はインクブルーに。帰り道を急ぐとまたもや、メトロ!アップタウン方向の入り口が3カ所閉まっており振り袖回りをして、ようやく乗り口にたどり着いた。いざ無人改札を抜けようと思ったら、7日間乗り放題のメトロカードがタイムアップに。焦ってボロボロのドル紙幣を何度もインサート繰り返し、やっと再度こうにゅう。汗はタラタラ、のどはカラカラ、足はガクガク、気がつけばいつも一緒に居た、私のなかのもう一人のわたしR子(時間を超越した幼い少女のまま)はすでにコックリコックリ。幸せなやつめ(笑)。




2012年1月29日日曜日

食事はキチットね!キチネット(Kitchinnette)

 
    ニューヨークでの滞在はここ数年間、友人宅の場合もあるがおもにキチネット(小さな台所)がついているホテルアパートメントが定宿になっている。滞在が短期間であれば、有名レストランに通い、後はデリなどで中身がぎっしり挟んであるサンドイッチをテイクアウトしたり、スーパーマーケットでお惣菜などを購入し常設のフードコートで食べるという手もあるが、一週間以上の滞在ともなれば毎日外食やテイクアウト(紙やプラスチックの皿とフォーク)で済ませているとストレスがたまってくる。
    昔ここニューヨークに留学していた頃、最初はニュージャージー州にあった父の知り合いのお宅に2ヶ月間おじゃまして、2カ所目からマンハッタンに移動した(1年前から既に居た兄の伝で)。最初の住所は79 East 11th st. ヨーロッパに2ヶ月間出稼ぎで不在のファションモデルのStudio(居室とバスルームと小さなキッチンのついたアパートの部屋のこと)にサブレントした。次に、88 Bleeker st.に(One bed roomで studio にプラス一部屋)一年間居て、最終的にOne   University(やはりOne bed room)に数年間暮らした。
   一般的にマンハッタンにある普通のアパートのキッチンはどこも狭く(例外もあり)あれこれと手の込んだお料理を作って食べるようには出来ていない。作れないことは無いが、基本的に仕事を持つニューヨーカーは外食が好きで(特にディナーは相手とコミュニケーションをはかる大切な時間にもなっている)家では暖めたり、簡単に火を通して食べる程度。(セカンドハウスを郊外に持つ余裕のある人々は、週末やバケーションに入るとそこを訪れ、広いキッチンでお料理を作ったり、好きなことをしてゆっくりとした時間を過ごす)。
   TV Dinner というコンテナーの中にメインから付け合わせの野菜、そしてアップルパイなどのデザートまでセットされた冷凍食品が昔から根強い人気があるのもうなずける。(例えると、エコノミークラスの機内食といった感じ)仕事から帰宅後、シャワーを浴びている間にレンジに入れて暖めるだけで、ビールでもあればテレビを見ながら一式そろった夕食が手軽にとれるのだから。むかし私が住んでいた頃、それのメインはハンバーグやグレービーソースのかかったターキーくらいで、試食もしてみたが・・それっきりになった。現在ではイタリアンから中華、そしてダイエット用まであらゆる種類が揃っており味も捨てたものではないと聞いている。また、ニューヨークは諸外国からの一人旅やシングルが多いためか、昼間も一人で気楽に食事出来るところは意外にある。例えば24時間区切りなくオープンしているコリアン、グリークレストランをはじめ、ホットドックやピザなどファーストフードの店もけっこうありお腹は満たせるが、何かが虚しい。
   キチネットがあれば、ニューヨーカーのようにスーパーマーケットやグリーンマーケット、チャイナタウンへ趣き、オーガニックの新鮮な野菜・果物中心に、ここならでは(元々移民の国で特に人種のるつぼであるマンハッタンは国際色豊かな食品が手に入る)の食材・食品を買い求める。そして、スープを作ったり、魚や肉をソテーしたり、アペリティフからメインディシュまで自分の好きなものを陶器のお皿に盛りつる。そこにワインストアで手に入れたシャンパンなどを添えればちょっとした暖衣飽食を味わえる。

   因に、私が食材・食料品中心に買い物するところはグルメスーパーから一般的なところまで幅広い。なぜならば、ピンからキリまで多民族国家ならではのそれぞれの特色が見いだせるからだ。
   Zabar`s(アッパーウエストにある唯一の店舗で、1934年創立の老舗でユダヤ人ゼイバー夫婦の経営で主にコーシャーフード(ユダヤ教の教えに沿った食料)が中心。そのため、ハムなどの加工食品以外の豚肉や、サラダパックを除く生鮮野菜は見かけない)。
  Whole Foods Market (1978年ジョン・マッキーとその恋人がテキサス州オースティンで開業した小さな自然食品店が始まり。今やアメリカにとどまらず、カナダ・UKなど合計270店舗以上展開する。オーガニック・フードを中心とした、新鮮野菜、果物・肉・魚・加工食品・ワインと幅広く品揃えしているアメリカ合衆国のスーパーマーケットで、ニューヨークには2001年進出)。
  Trader Joe's (1958年ジョー・コロンビーがカリフォルニア州ロサンジェルスに設立するが、1979年以降ドイツ人の実業家 テオ・アルブレトが所有。アメリカ合衆国内に約300店舗を展開しているやはりグルメスーパーだが、中間流通を省くことによって価格が他よりもリーズナブル)。この3カ所はよく行くところだ。
  そしてたまに、Dean&Deluca、Citarella、Fairway、気が赴けば、Gourmet Garage、Balducci`s、Eli`s Manhattan、Agatha&Valentina、Garden of eden,  Grand Central Market,  Chelsea Market, Amish Market,  D`agostino,  Gristede`s  その他、ユニオンスクエアーGreen Market、Chaina Town,  Korean など。
 時の経つのも忘れ、まるでマーケティングしているように店内を端から端まであれこれ見ながら手にとり吟味する。その日のわたしの食事は既にそこからスタートしているのだ。

2011年12月15日木曜日

人間万事塞翁が馬

   一昨日のニューヨーク行きのこと。エコノミークラスの飛行機への搭乗は、なるべ遅い方が良いことを長年の経験から熟知している私は、搭乗の最終案内を待ちさっそうとゲイトに向かった。
  ふつう飛行機は一定の人数が集まらない時は提携会社との共同運行便になり、すし詰め状態にして飛ばすことがある。ところが、今回は八割から九割うまっていたのでそれはないと踏み、窓側の空いている、三つ並んでいる真ん中の席をネットでリザーブしておいた。
   機内の通路を進み、自分の座席番号にたどり着く。すでに通路側に座っていた年配の女性(何人かのツアーの一人)は怪訝そうな顔をして、「ここですか?」と私に尋ねてきたのですかさず、「はい!」と元気よく答えて「ごめんなさい」と言いながら、彼女を押しのけるように真ん中に腰を下ろす(長時間のフライトは意外と窓側は人気がなく、人に気兼ねなく自由に出入りできる通路側が先にうまるのだ)。そうこうしているうちにゲイトが閉まり、これで少なくとも窓側の席は空いているし足をのばせると内心笑みがこぼれた。すると隣のその女性が「移動するので」と言い放ち席を立ったのだ。「ラッキー」と思い、さっそく三つ並んだ席を陣取り気分よく出発を待つ。普段から何事においても遅れがちで間が悪い私だが、この時ばかりはギリギリ勝負師の面目が立ち乾杯(苦笑)!
   ところが、もう出発かなと思っていた矢先、「お急ぎのところお客様には多大な迷惑をおかけしますが、搭乗機の不良整備が発覚したため一時間ほど遅れての出発になります」とアナウンスが流れた。出鼻を挫かれた。睡眠不足が祟って交感神経がとがったままだから寝ようにも眠れない。すると、もう少し遅れるのが判明し、いったん飛行機から下りる許可が出たのである。その時、もうろうとしていた頭の中に一筋のきらめきが。
  ネットの勧誘で得たクレジットカードの特典で、入会後数ヶ月以内以内に一定の金額を使えば Priority Passという、提携する航空会社(ビジネスクラス以上の人々が対象)のラウンジを利用できるカードを持参していた。成田の第一ターミナルで使用できるのは大韓航空とわかり、足を運んだ(今回のフライトはデルタ航空だが)。個人的な感想だが、デルタより大韓航空のラウンジの方が好きだ。日本に限るが、おにぎりが何種類か必ず用意されていて意外と美味しい。お酒を飲み神経のとんがりを丸くして機内で睡眠をとろうと、まず生ビールで乾ききったのどを潤し、続いて2007年ボルドーの赤ワインをおつまみと。締めは日本茶に高菜としゃけのおにぎり。そして飽き足らぬ欲望がポケットにそっとおにぎり二つ忍ばせる。エコノミー食攻群が頭をよぎったからだ。そのうち機内に戻る時間に。結局二時間遅れの出発となった。
  どういうわけか到着は一時間遅れですんだので、良かったと思ったのも束の間。イミグレーションのノンレジデンス側は長蛇の列。仕方なく並んでいると、途中から案内係が一部の人たちをすいているレジデンス側に誘導し始めた。私も意を決してロープをくぐり横入りをしたのだが、気がつけば私は最後の方でようやくイミグレを通過。預けた荷物がベルトコンベアーで回転するところはすでに止まり、いくつかの荷物が寂しそうに下に並べられていた。それらが薄暗い中、まるで保育園の幼児が首を長くして保護者のお迎えを待っているように見えた。
   荷物を引きずり、最終関門の係員に名前・生年月日・変な荷物は預かってきていないかどうかなど記述した書類を渡したその時、「ウッウー」と係員が小さな声を立てたので一瞬たじろぐと、何のことはなく「You looks like 15years younger!!」と言われた。「Thank you!」と受答したとたん自然に背筋が伸び、さっそうとその場を後にした。娘〇〇番茶も出花なんて意気揚々と(笑)。
   空は紺色の水彩絵の具を白い紙に薄くまだらにのばした感じ。久しぶりにニューヨーク特有の湿気の無い冷たい風を満喫しながらグランドセントラル行きのバスを待った。