山梨と宝石「日本の神々『クシナダヒメ(櫛名田比売)』4」50
「記・紀」によると、高天原からきた天津神が地上の国すなわち日本列島の主権をスサノオ(須佐之男命)とクシナダヒメ(櫛名田比売)の子孫である国津神のオオクニヌシ(大国主命)から受け継いだ葦原中国平定を「国譲り」と呼ぶ。これを天孫降臨神話に繋げて天皇家の日本列島支配を正当化させたようだ。それにより武力で迫られ支配権を渡した元の主人公の社(やしろ)は、辺境にあたる出雲郡に建てざるを得なかった。さらに天皇に忠誠を誓う意味で、代替わりごとに朝廷に参向して『出雲国造神賀詞 (いずもくにのみやつこかむよごと)』を奏上する儀礼を行ってきた。第83代千家尊祀(せんげたかまさ)は、国造を継いだ翌年の1948年6月、宮中に参内して出雲玉造産の御統玉(みほぎたま)三種一連を献上し古代以来の神賀詞奏上を行っているが、日本にこのような威勢をふるう氏族は他にはないという。天皇家以前に日本の覇権を握っていた出雲勢力は、大和朝廷とは別の勢力で天照大神を頂点とする天皇家の神社とは別扱いなのだ。そして現在に至るも出雲大社は、天皇陛下でさえ本殿内に入れないしきたりがあるという。ちなみに、2000年、出雲大社の境内から巨大な木柱痕が出土し、伝説とされてきた高さ48メートルの古代の社が存在したことの信憑性が高まっている。出雲自体はスサノオの土地であり、現在は子孫のオオクニヌシが出雲大社の祭神で、拝礼(古来の儀礼にのっとった、ニ礼四拍手一礼)すると本殿の奥に社があり祀られているスサノオを崇拝する構造になっている。なお、神有月に出雲に集まるのは国津神であり天津神は行かない。 ところで、国譲りでニニギ(瓊瓊杵命)が出雲国に降臨したという一方で、高天原からニニギが天孫降臨したのは筑紫の日向の高千穂とされる説があるが、古代の「日向」とは宮崎と鹿児島を含む広域を指し、サクヤヒメ(木花佐久夜毘売)と出会った笠紗の岬が気に入り定住の地と定めたことから後者が有力の地であることしかり、さらにはニニギ~山彦~ウガヤフキアエズ3代の陵は、宮内庁によって鹿児島県内に治定されている史実もあるのだ。ニニギノミコトが、長い時を経て2度も遠く離れた地に天孫降臨したことには正直、矛盾を感じる。
さて、クロスフォー(株)から櫛名田比売をイメージした稲穂のペンダント実り(MINORI)がでた。
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