山梨と宝石「日本の神々『出雲国の主人公 大国主命』2」35
弥生時代、渡来してきた太陽崇拝する民族のウガヤ(上伽耶)、アラカヤ(下伽耶)が
「記・紀」に「大和根の国」と記される出雲国を開拓し、アラカヤは出雲に残りウガヤは東に進んで現在の斑鳩(イカルガ)と呼ばれる地域を中心に勢力を拡大していった説があるが、それは地域名などの呼び方から裏付けられるという。例)「出雲神社」はアダカヤ神社と訓し、「斑鳩」はウガヤカ(=処)が動いて(イゴク)→イカルガに転じたもの。さらに、ウガヤ=ヤマト(太陽の土地を意味する)=ヤマハト=斑鳩とのこと。さてその一方で、「熊信仰」(日照りがつづく干害から、雨を降らす「黒い雲」を祈願するようになった人々のこと)するクマソ(熊襲)と呼ばれた渡来人が九州にやってきて自分たちの故郷とし定着するもやがて東征を始めた。そのことに危機感を感じた太陽信仰する景行天皇は、息子である小碓命(オウスノミコト)=(ヤマトタケル)に彼らの本拠地である九州征伐に乗りだす命を下した。そして見目うるわしい美少年だったオウスは女装し、クマソの頭目の川上梟帥(かわかみたける)を油断させて討った。目頭は、「わが国では、私より強いものはおりません。これからはヤマトタケル(日本武尊)と名乗って下さい」といって息絶えたことは今でも語り草になっている。
やがて、西暦360年代になると太陽信仰族の最後の王といわれる仲哀天皇(ヤマトタケルの子)の死をもって、ヤマトの国は熊信仰族による第二期大和王朝が成立し、仁徳天皇以下、河内王朝を経て現在まで続いているという。そのことは、出雲国の主人公であったオオクニヌシ(大国主命)=「意宇国之主(オウクニノヌシ)」の「意宇郡(おうぐん)=出雲国最大の郡」に祭られるべきであった出雲大社が、意宇国(出雲)の端に創建され、『熊の権現』を祭る出雲国一の宮・熊野大社が出雲国最大の意宇郡(おうぐん)松江市郊外の山間、意宇川沿いに建立された由縁であると思える。さらに、出雲大社の祭祀を代々担う出雲国造家が、元は本拠地であったこの辺りに熊野大神を奉斎したのは古代出雲において最も重要な神社だった可能性が高いという。
さて、神話のなかでも因幡の白兎を救った心優しい大国主命の良縁をモチーフにしたペンダント慈愛(JIAI)が株式会社クロスフォーからお目見えした。
0 件のコメント:
コメントを投稿