山梨と宝石「日本の神々『スサノウノミコトと草薙剣(くさなぎのつるぎ)』33
子の「三貴神」の一人として位置付けられているが、その姿は一様ではなく多くの顔をもつ。京都の八阪神社では「牛頭天王」(新羅から渡来したヒポコと同一されているツヌガアラヒトのこと)、カマドの神である「荒神様」「山の神」「田の神」「道祖神」など。また、「氷川神社」「八雲神社」「熊野神社」などの祭神として祀られている。妻は何人もいて、ヤマタノオロチ退治のときに救った1、クシナダヒメ(櫛名田比売命)で子どもは宗像三女神、2、カムオオイチヒメ(神大市比売)との子は、ウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)、3、サシクニワカヒメ(刺国若比売命)との子に出雲大社の主祭神の大国主命など。
当時、古代出雲王国はあらゆる大陸文化の上陸地であり大和国にさきだつ先進国であったことは、『記・紀』の神代条に五穀や蚕の発祥が豊葦原の中津国=出雲国であると書かれていることが証明している。『播磨国風土記』にも仁徳天皇が隠岐、出雲、伯耄、因幡、但馬の五国から国造りを召したところ、彼らが召使いを水夫に仕立てて回航してきたのは不届であると口実をつけて、播磨にとどまらせ田作りをさせた。因幡をイナバというのも、この地が「稲場」であることを示しており、天皇家の先祖の祭りごとに使う米をおさめる土地であった。
さて、高天原で暴れたスサノウは追放され、イソタケル(五十猛)の神々をひきつれてまず「新羅」にくだりそれからこの「出雲」にやってきた。ある説によると「ヤマタノオロチ」とは、「ヤマタ=アマタ=大勢」オロは「高麗」の音韻の変化したもの、チは人とのことで、オロチ=オロの地からやってきた人という意味に使われた呼称で、製鉄の技術など中国の進んだ文化を引っさげて渡来してきた高句麗族の暴虐からスサノウが伽耶族の人々を救い出した物語のようだ。さらに物語は、スサノウの剣が伽耶の銅剣のためオロチの鉄剣に触れて刃が欠けたことから、鉄は権力の象徴となりオロチから手に入れた「くさなぎ(草薙)の剣」は、権力の伝達を意味する皇位継承の儀式につかう3種の神器の1つとなる大きな意味合いをもつ背景にもなっている。
それをモチーフにした厄除けにもなるペンダント草那藝之大刀(KUSANAGINOTACHI)が、株式会社クロスフォーからお目見えした。
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