Jewelry sommeliere

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津延美衣(つのべみえ)NY州立大学FIT卒業。米国宝石学会鑑定有資格者(GIA-GG,AJP) 運命学・自然医学・アート・アロマテラピー・食文化などの知識を元に感動的な人生を描くプランナー・エッセイスト・キュレーター兼ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere) 美時間代表。

2024年2月5日月曜日

週刊NY生活No.937 11/18/23' 宝石伝説70「日本の神々『猿田彦神』2」43

          
   
山梨と宝石「日本の神々『猿田彦神』2」43


 サルタヒコノカミはアマテラスの孫・ニニギノミコトが国の統治のために天孫降臨をした際の道案内をした神として登場するだけでなく、伊勢神宮の誕生に関わる重要な役割りをはたしている。『神社名鑑』によると、その由緒沿革は、垂仁天皇の御代皇女ヤマトヒメ(倭姫命)が神宮鎮祭の地を求めて巡歴されたとき、サルタヒコの裔(あとつぎ)、オオタノミコト(大田命)がヤマトヒメを迎え五十鈴川上の霊域を献り伊勢神宮の創建となったのだ。大田命の裔はウジノツチギミ(宇治土公)といい、玉串大内人に任ぜられ累代奉仕し当社を奉祀する。地祭・建築・方除、みちびきの大神として全国に崇敬者があり広く信仰を集めているその祖神がサルタヒコノカミだ。当時その猿田族は、阿佐加の嶺を拠点として一大勢力をともない大和朝廷軍の進路を阻んだ。宇佐家(九州の宇佐神宮)伝承によると、それはサルタヒコという陽性の太陽神と、陰性の太陽神であるアマテラスとの対決であったという。朝廷軍はこれを突破するには武力だけでは困難なことがわかっていたので、武将のオオワカコノミコト(大若子命)を大和に派遣して天皇に状況を上申し、相手に贈賄手段を用いて服従させることを企てた。この計略は成功し、ヤマトヒメノミコトは伊勢国入りすることができたという。いずれにしてもこの阿佐加の猿田族は伊勢国全土で古くから栄えた強力な部族で前期古墳と呼ばれる3世紀末から4世紀に至るころのものが他の地域を断然ぬいて存在していた。

 このような「荒ぶる神」も、アメノウズメノミコトのセクシーな媚態に参ってしまい「まつろえる神」として南方系天孫族のニギハヤギに帰順し大和入り(天孫降臨)の道案内をつとめた。そして天津神ウズメと国津神サルタヒコによる種族を超越した結婚にまで至るのだが、残念ながら長続きすることなくその幕は早く降りる。古事記によると皮肉にもサルタヒコが海で漁をしている際に命を落としたとのこと。現在、そのサルタヒコの総本社とされる伊勢国一宮の椿大神社(全国で2000社を超える)は『延喜式』で小社であることから、阿射加神社が本来の総本社と言える。

さて、(株)クロスフォーから猨田彦神の道開きの神をイメージしたデザインのペンダント(裏面は厄除けの猪の目)になっている導(MICHISHIRUBE)がでた。


週刊NY生活No.933 10/21/23' 宝石伝説69「日本の神々『猿田彦神』1」42

         
 
山梨と宝石「日本の神々『猿田彦神』1」42


 日本の神話においてひときわ謎の多い神がいる。それは天の岩戸隠れや天孫降臨にて活躍する千両役者のようなサルタヒコノカミ(猿田彦神)のことで、それらの史実としての年代は猿田族が稲荷山を占領したよりずっと後世の出来事であって、中期縄文時代の中葉と考えられている。その天孫降臨に際して先導役をつとめたというサルタヒコノカミの説話は日本の神社祭式に大きな影響をおよぼし、各地の神事で天狗鼻の赤い鬼面をかぶった者が神幸(じんこう)の先頭に立っているのもこれに由来するという。さらに天皇がアマテラスオオカミの子孫として、日本の国土と人民を統治する正当性をもつものであることを示す上において、サルタヒコノカミの功績を大きく認めさせることにより、その説話の内容に権威を与えて政治的にもっとも重要な意義をもつようになったといわれる。

 ところで、原日本人の日本列島における集団生活の起源を考古学的に実証するものとして、1975年3月26日付毎日新聞の朝刊に次のような見出しの記事が掲載された。日本最古タテ穴住居 小学生発見の大台野(岩手)遺跡「一万八千年前」と東北大調査団が確認。この遺跡は、それ以前に発見された旧石器時代の住居跡として断定されている鹿児島県の上場遺跡を約三千~五千年も上回るわが国最古の住居跡で、これにより原日本人である猿田族発祥の地はカムチャッカ半島からシベリア方面、さらに奥羽地方から裏日本方面であることが確認されたという。その後、猿田族は南下し、そこに以前から居た宇佐族を追いだして京都の鞍馬山に拠点を移し占拠した。サルタヒコノカミを崇拝し、その性質は獰猛果敢で『延喜式祝詞』には「荒ぶる神」と称せられ、一般には「鬼」といわれたり、「天狗」と呼ばれ、古語に「ししむら(肉叢)を喰らう」とあるように、鳥獣の生肉を食い、人肉まで食ったので、口はいつも血で赤く染まっていたと伝えられている。そのサルタヒコノカミを祀る神社は『延喜式』神名帳によると、伊勢国の名神大社となっている現在の三重県松阪市の西方の丘陵の裾にある一志郡(いちしのごおり)の阿射加神社(あさかのかみしろ)である。そのほか、伊勢市宇治山田町に猿田彦神社がある。

 さて、(株)クロスフォーから猿田彦神の邪視(万災解除)をイメージしたペンダント邪視(JASHI)がでた。


2023年11月4日土曜日

週刊NY生活No.929 9/16/23' 宝石伝説68「日本の神々『アメノウズメ命』3」41

     
    山梨と宝石「日本の神々『アメノウズメ(天宇受売命)』3」41


 アメノウズメは、アメノコヤネ(天児屋根)、フトダマ(布刀玉命)、タマノオヤ(玉祖命)、イシコリドメ(伊斯許理度売命)らとともに五伴緒神(いつとものおおかみ)の一柱として、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が高天原から葦原中国へ天降るさいに随伴した。その道中は複雑に入り組んだ天之八衢(あまのやちまた)があり、たとえ神であってもそこを無事に通ることは容易ではない道のりに、背の高さは7尺(2m強)ほどだが七咫(ななあた)(手の平長さ×7)もある高い鼻に光り輝くような真っ赤な目をした者が現れて一行を阻んだ。動揺する天津神らのなかで、この異様に映った存在に臆することなく近づいて名を尋ねたのはアマテラスから信頼されるウズメだった。この者は葦原中国からの使者である国津神・サルタヒコ(猿田毘古神)で、やがてウズメの媚態に籠絡され精気をぬかれて参ってしまい、行く手を憚るどころか道案内をすることになった。そしてニニギノミコト一行は迷うことなく無事葦原中国へ到着(天孫降臨)する。

 のちにウズメは、アマテラスからサルタヒコの名を明かしたことからその名を負って仕えることとなり猿女(サルメ)という名前を与えられサルタヒコの妻に。さらにサルメノキミ(猿女君・猨女君)の祖神となる。やがて、サルタヒコはウズメに付き添ってウズメの原郷である伊勢の狭長田(さなだ)の五十鈴川(いすずがわ)に行く。このときに、猿の男(サルタヒコ)と猿の女(アメノウズメ)は、男女一対の神として結婚したという解釈もされている。

 ある日ウズメは、サルタヒコが日向国(ひゅうがのくに)に行ったのを見送った後、大小の魚を集めて天孫(ニニギノミコト)に仕えるかどうか尋ねた。みな「仕える」と答えた中でナマコだけが何も答えなかったので、ウズメはその口を小刀で裂いてしまった。これが原因でナマコの口は裂けているという。このエピソードは、ウズメがただ美しく妖艶であるだけではなく激しい気性も持ち合わせていた凄ぶる神だったことを現わす。ちなみに、ウズメの功績により代々の天皇は志摩国から新鮮な海産物が献上される際には、猿女君(祖人ウズメ)に与えるそうだ。

 さて、(株)クロスフォーから光に満ちたウズメをイメージするデザインのペンダント黎明(REIMEI)が出た。


週刊NY生活No.925 8/19/23'宝石伝説67「日本の神々『アメノウズメ命』2」40

     山梨と宝石「日本の神々『アメノウズメ(天宇受売命)』2」40


 天の岩戸開きに、日本最古の踊り子とされるアメノウズメが披露した舞は神楽の原型になった。役者を表わす俳優という言葉は『日本書紀』でウズメの舞を「巧みに俳優をなし」と表現したことが由来だ。岩戸開きで大きな活躍をしたウズメがさほど評価されなかったのは、オモイカネを筆頭にイシコリドメ、タマノオヤ、タヂカラオ、さらにウズメの父であるフトダマなど八百万の神々が協力して作戦を遂行したからで、特に鏡と玉を造る氏族が重視されていたようだ。

 天の岩戸隠れは、弟・スサノウが母のいる黄泉の国へ向かう途中で姉へ別れの挨拶をする目的で伺ったときに働いた乱暴を、高天原を侵略しにきたとアマテラスが勘違いしたことが発端とされる。その訪問をアマテラスに報告したのはウズメのようで、さらに後の「国譲り・葦原中国平定(これは日本神話で最も大きな出来事の一つ「天孫降臨」を指す)」の際にも大活躍する。アマテラスら高天原に暮らすのが『天津神』一方で、葦原中国を平定して暮らしていた土着の神『国津神』オオクニヌシは、突如として自分の孫にあたるニニギノミコト(邇邇芸命)に葦原中国の支配を任せたかったアマテラスから「国を譲れ」と迫られたのだ。オオクニヌシらは最初は抗うものの、天津神の圧倒的な力の前になす術がなく従わざるを得なかった。高天原から降りて(=海から渡来する意味の説あり)そのサポートにあたった5人の五伴緒神(いつとものおかみ)が同行したなかにもウズメがいて、大役を任される重要な神であった。

 一行が高天原から天降りしていると、葦原中国の国津神の一人が行く手を阻んだ。すると、アマテラスとタカミムスビ(高御産巣日神)はウズメに、「女神であるものの、男神と向かい合っても気後れすることもないと思うので、そのもののところへ行って正体を確かめてきなさい」といった。その時の様子を『日本書紀』では次のように記述している。「その胸乳をあらわにかきいでて、裳帯(もひも)を臍(ほそ=ヘソ)の下におしたれて、あざわらひて向きて立つ。」 つまり、ウズメが乳房をあらわにし裳の紐を臍の下まで押したれて、あざ笑いながら国津神に向かって名を尋ねると、「国津神のサルタヒコ(猿田毘古)」と名乗った。

さて、クロスフォー(株)から天宇受売命が踊る躍動感を表したリング舞踏(BUTOU)がでた。


週刊NY生活NO.921 7/15/23'宝石伝説66「日本の神々『アメノウズメ命』1」39


    山梨と宝石「日本の神々『アメノウズメ(天宇受売命)』1」39


 アマテラス(天照大神)が岩戸にお隠れになり天地は真っ暗闇になったというのは、先に述べたようにやまとこく(邪馬台国)の女王・ヒミコ(卑弥呼)がお亡くなりになり、その後継者であるイヨ(壱与)に代替わりしたとされる説に信ぴょう性がありそうだ。それはさておき、神話でその場面に登場する、イシコリドメ(鏡作氏)、フトダマ(忌部氏)、アメノコヤネ(中臣・藤原氏)は日本の歴史上錚々たるメンバーだ。一方で、見逃してならないのはアマテラスを岩戸から誘いだすのに重要な役割をした天津神であるフトダマとヒリトメを父母にもつ謎多き芸能と神事の女神アメノウズメ(天宇受売命・天鈿女命)で、一柱の神として鎮座するのは長野県北安曇郡松川村の鈿女神社になる。岩戸開きのウズメの様子について『古事記』では次のように記述されている。 「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、胸乳を露わにかきいでて裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」つまり、 ウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし裳の紐を女陰まで押したれて、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた鉾、『古事記』では笹葉を振り)力強くエロティックな動作で踊って八百万の神々を大笑いさせた。その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けたアマテラスに「あなたより尊い神が生まれた」とウズメが言うやいなやタジカラオが岩戸を開いてアマテラスを引き出し、再び世界に光が戻ったとある。ちなみに『日本書紀』も似た記述であるが、胸乳の記述は無く女陰については「火処(ほところ)焼き」と記され、神々の反応は記されていない。天の岩戸前で神がかりした踊りでアマテラスの関心をひいてなお会話を交わすその姿は、シャーマン(巫女)が恍惚状態になり交信する様子を映したものとも考えられている。ウズメという名前について多くの解釈があるが、その「ウズ」とは神事の際に頭に挿す枝葉や花を意味する「挿頭(かざし)」からきているという説があり、神霊を招き宿らせる一種の寄り代の機能を持つものと考えられる。そこからウズメとは「神事における特別な役割をする髪飾りを挿した女性のこと」といわれる。

さて、クロスフォー(株)から天宇受売命の踊る姿をモチーフにしたペンダント舞踏(BUTOU)がでた。

 

 

2023年7月3日月曜日

週刊NY生活No.917 6/17/23'宝石伝説65「日本の神々『天の岩戸』2」38

                  
  
山梨と宝石「日本の神々『天の岩戸』2」38


 『記・紀』によるとアマテラス(天照大神)が岩戸に姿を隠した理由は、弟のスサノオ(素戔嗚命)のとんでもない乱暴的な行為であるとされている。それを嘆いたアマテラスは洞窟に引きこもり、入り口を大きな岩でふさいで出てこようとしないので世の中は暗闇に包まれ、さまざまな災いが起こるようになった。そこで八百万の神々が天の安河原に集まって会議をしたのだ。一方で、備中神楽でも演じられよく知られた「天の岩戸隠れ」については、邪馬台国(やまとこく)の女王・ヒミコ(卑弥呼)がその後継者であるイヨ(壱与)に代替わりしたことを表現しているという。つまり、アマテラスが隠れるとはヒミコの死を暗示し、多くの神々が集まって知恵をだした結果、再び日の神が出現するシーンは新しい女王の擁立を意味するのだ。また「岩戸隠れ」にはもう一つの解釈、「太陽が月に隠される皆既日食がモチーフになったのでは」という説がある。さらにコンピューターにより、天文現象を再現する研究によって興味深い事実が示された。それは、西暦247年と翌248年に日食が起こったという。そしてこの年はヒミコの亡くなったとされている年で、イヨが女王になった年でもある。その「天の岩戸」の所在地だが、邪馬台国の北九州説と近畿説があるように、九州をはじめに京都など全国にいくつもの候補地が存在しており決定的な場所は断言できない。

 神話にもどるが、オモイカネ(思兼神)は、常世の長鳴鳥(にわとり)をたくさん集めて鳴かせ、後に3種の神器になる八咫鏡(やたのかがみ)をイシコリドメ(石凝姥命)に「天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄で鏡を作りなさい」と命じ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)をフトタマ(太玉命)につくらせて、これを大榊の枝に飾り立てゆらゆらと揺って妙なる音を奏でた。すっかり準備がととのうと、天性の美声の持ち主であるアメノコヤネ(天児屋根命)が、祝詞を面白おかしく声高らかに奏しだす。ちなみに、イシコリドメは鏡作氏、フトタマは朝廷の祭りを行う忌部氏、そしてアメノコヤネは中臣(藤原)氏の祖先で、それぞれが天皇家とつながりが深い「天神族」であったことを記録する意味もあり神話に登場したとされる。

さて、株式会社クロスフォーから、アメノコヤネが使った玉鏡をイメージしたデザインのペンダント玉串(TAMAGUSHI)がでた。


2023年7月2日日曜日

週刊NY生活No.913 5/20/23'宝石伝説64山梨と宝石「日本の神々『天の岩戸』1」37

       
 
山梨と宝石「日本の神々『天の岩戸』1」37

 

 戦前の日本にて天皇は『天照大神』の子孫で、「現人神(人の姿で現れた神)」であると学校で教えられていたが、現在においてそのことは神話であって科学的な史実とみなされていないという。そもそも日本の天皇は、初代神武天皇から第9代開化天皇までは実在性が薄い天皇とみなされているのだ。そしてヤマト政権の初代大王は第10代崇神天皇とされ、その在位は3世紀後半から4世紀前半というのが定説だ。一方で、「古事記」や「日本書紀」に記された神話は、何らかの歴史的事実が背景にあるという見方も一般的になっている。その崇神天皇の側にあったというモモソヒメノミコト(百襲姫命)は神を憑依させる巫女的な女性として『日本書紀』に登場するが、『魏志倭人伝』にある『鬼道』をもちいて国の大事を占い、神託を告げる巫女(シャーマン)であったヒミコ(卑弥呼)と重ってくる。邪馬台国(やまとこく)域内説の有力候補地でもある、宮内庁により陵墓として管理されている奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡内にある箸墓(はしはか)古墳(モモソヒメの墓に治定)は、古墳群でも盟主的な全長約280mの堂々たる姿で、後円部の直径は約150mある日本最古級の前方後円墳とされる。そして『魏志倭人伝』のヒミコの墓の大きさ『径百余歩』(約180m)に近いことから古くからヒミコの墓の説がとなえられてきた。さらに、箸墓古墳の築造年代はずっと3世紀後半とされていたが、近年に箸墓古墳周辺から出土した土器を最新の年代測定法で科学調査をしたところ240~260年という測定結果がでたことから、ヒミコの没年は3世紀中頃の247~248年と推定されているのでほぼ一致することがわかった。このことから、箸墓古墳=ヒミコ墓、モモソヒメノミコト=ヒミコといわれる。なお、後に伊勢神宮に祀られたアマテラスも、それ以前は崇神天皇の居所に祀られていた。そのアマテラスにまつわるたくさんの神話のなかでも最も有名なものが「天の岩戸伝説」だ。岩戸に姿を隠したアマテラスを引きだすために八百万の神々が天の安河原に集まり会議をひらき、タカミムスビ(高御産巣日神)の子のオモイカネ(思兼神)が指揮をとることになりそれぞれの役割を決めた。それらの神のひとりに天性の美声の持ち主であるアメノコヤネ(天児屋根命)がいる。

その天児屋根命にちなんだペンダント、言霊(KOTODAMA)が株式会社クロスフォーからでた。