山梨と宝石「日本の神々『天の岩戸』1」37
戦前の日本にて天皇は『天照大神』の子孫で、「現人神(人の姿で現れた神)」であると学校で教えられていたが、現在においてそのことは神話であって科学的な史実とみなされていないという。そもそも日本の天皇は、初代神武天皇から第9代開化天皇までは実在性が薄い天皇とみなされているのだ。そしてヤマト政権の初代大王は第10代崇神天皇とされ、その在位は3世紀後半から4世紀前半というのが定説だ。一方で、「古事記」や「日本書紀」に記された神話は、何らかの歴史的事実が背景にあるという見方も一般的になっている。その崇神天皇の側にあったというモモソヒメノミコト(百襲姫命)は神を憑依させる巫女的な女性として『日本書紀』に登場するが、『魏志倭人伝』にある『鬼道』をもちいて国の大事を占い、神託を告げる巫女(シャーマン)であったヒミコ(卑弥呼)と重ってくる。邪馬台国(やまとこく)域内説の有力候補地でもある、宮内庁により陵墓として管理されている奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡内にある箸墓(はしはか)古墳(モモソヒメの墓に治定)は、古墳群でも盟主的な全長約280mの堂々たる姿で、後円部の直径は約150mある日本最古級の前方後円墳とされる。そして『魏志倭人伝』のヒミコの墓の大きさ『径百余歩』(約180m)に近いことから古くからヒミコの墓の説がとなえられてきた。さらに、箸墓古墳の築造年代はずっと3世紀後半とされていたが、近年に箸墓古墳周辺から出土した土器を最新の年代測定法で科学調査をしたところ240~260年という測定結果がでたことから、ヒミコの没年は3世紀中頃の247~248年と推定されているのでほぼ一致することがわかった。このことから、箸墓古墳=ヒミコ墓、モモソヒメノミコト=ヒミコといわれる。なお、後に伊勢神宮に祀られたアマテラスも、それ以前は崇神天皇の居所に祀られていた。そのアマテラスにまつわるたくさんの神話のなかでも最も有名なものが「天の岩戸伝説」だ。岩戸に姿を隠したアマテラスを引きだすために八百万の神々が天の安河原に集まり会議をひらき、タカミムスビ(高御産巣日神)の子のオモイカネ(思兼神)が指揮をとることになりそれぞれの役割を決めた。それらの神のひとりに天性の美声の持ち主であるアメノコヤネ(天児屋根命)がいる。
その天児屋根命にちなんだペンダント、言霊(KOTODAMA)が株式会社クロスフォーからでた。
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