山梨と宝石「日本の神々『猿田彦神』1」42
ところで、原日本人の日本列島における集団生活の起源を考古学的に実証するものとして、1975年3月26日付毎日新聞の朝刊に次のような見出しの記事が掲載された。日本最古タテ穴住居 小学生発見の大台野(岩手)遺跡「一万八千年前」と東北大調査団が確認。この遺跡は、それ以前に発見された旧石器時代の住居跡として断定されている鹿児島県の上場遺跡を約三千~五千年も上回るわが国最古の住居跡で、これにより原日本人である猿田族発祥の地はカムチャッカ半島からシベリア方面、さらに奥羽地方から裏日本方面であることが確認されたという。その後、猿田族は南下し、そこに以前から居た宇佐族を追いだして京都の鞍馬山に拠点を移し占拠した。サルタヒコノカミを崇拝し、その性質は獰猛果敢で『延喜式祝詞』には「荒ぶる神」と称せられ、一般には「鬼」といわれたり、「天狗」と呼ばれ、古語に「ししむら(肉叢)を喰らう」とあるように、鳥獣の生肉を食い、人肉まで食ったので、口はいつも血で赤く染まっていたと伝えられている。そのサルタヒコノカミを祀る神社は『延喜式』神名帳によると、伊勢国の名神大社となっている現在の三重県松阪市の西方の丘陵の裾にある一志郡(いちしのごおり)の阿射加神社(あさかのかみしろ)である。そのほか、伊勢市宇治山田町に猿田彦神社がある。
さて、(株)クロスフォーから猿田彦神の邪視(万災解除)をイメージしたペンダント邪視(JASHI)がでた。
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