山梨と宝石「日本の神々『猿田彦神』2」43
サルタヒコノカミはアマテラスの孫・ニニギノミコトが国の統治のために天孫降臨をした際の道案内をした神として登場するだけでなく、伊勢神宮の誕生に関わる重要な役割りをはたしている。『神社名鑑』によると、その由緒沿革は、垂仁天皇の御代皇女ヤマトヒメ(倭姫命)が神宮鎮祭の地を求めて巡歴されたとき、サルタヒコの裔(あとつぎ)、オオタノミコト(大田命)がヤマトヒメを迎え五十鈴川上の霊域を献り伊勢神宮の創建となったのだ。大田命の裔はウジノツチギミ(宇治土公)といい、玉串大内人に任ぜられ累代奉仕し当社を奉祀する。地祭・建築・方除、みちびきの大神として全国に崇敬者があり広く信仰を集めているその祖神がサルタヒコノカミだ。当時その猿田族は、阿佐加の嶺を拠点として一大勢力をともない大和朝廷軍の進路を阻んだ。宇佐家(九州の宇佐神宮)伝承によると、それはサルタヒコという陽性の太陽神と、陰性の太陽神であるアマテラスとの対決であったという。朝廷軍はこれを突破するには武力だけでは困難なことがわかっていたので、武将のオオワカコノミコト(大若子命)を大和に派遣して天皇に状況を上申し、相手に贈賄手段を用いて服従させることを企てた。この計略は成功し、ヤマトヒメノミコトは伊勢国入りすることができたという。いずれにしてもこの阿佐加の猿田族は伊勢国全土で古くから栄えた強力な部族で前期古墳と呼ばれる3世紀末から4世紀に至るころのものが他の地域を断然ぬいて存在していた。
このような「荒ぶる神」も、アメノウズメノミコトのセクシーな媚態に参ってしまい「まつろえる神」として南方系天孫族のニギハヤギに帰順し大和入り(天孫降臨)の道案内をつとめた。そして天津神ウズメと国津神サルタヒコによる種族を超越した結婚にまで至るのだが、残念ながら長続きすることなくその幕は早く降りる。古事記によると皮肉にもサルタヒコが海で漁をしている際に命を落としたとのこと。現在、そのサルタヒコの総本社とされる伊勢国一宮の椿大神社(全国で2000社を超える)は『延喜式』で小社であることから、阿射加神社が本来の総本社と言える。
さて、(株)クロスフォーから猨田彦神の道開きの神をイメージしたデザインのペンダント(裏面は厄除けの猪の目)になっている導(MICHISHIRUBE)がでた。
0 件のコメント:
コメントを投稿