Jewelry sommeliere

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NY州立大学FIT卒業。 米国宝石学会鑑定・鑑別有資格(GIA-GG,AJP)。 CMモデル、イベント通訳コンパニオン、イラストレーターなどを経て、両親の仕事を手伝い十数カ国訪問。現在「美時間」代表。今迄培ってきた運命学、自然医学、アロマテラピー、食文化、宝石学などの知識を生かし、健康で楽しく感動的な人生を描くプランナー、キュレーター、エッセイスト、ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere)

2021年11月7日日曜日

週刊NY生活No835 9/18/21'宝石伝説44 山梨と宝石「新ブランド[リゾネイト]の誕生秘話」17

      山梨と宝石「新ブランド【リゾネイト】の誕生秘話」17



 「石を揺らしてキラキラさせるなんて、面白いものを作る会社だなぁ」と、知り合いからダンシングストーンの商品をもらった歌舞伎役者の市川九團次氏は、呟くや否や自身のブランド【FULERU NINE】でクロスフォー社とタイアップし、シルバー×キュービックジルコニアのアクセサリーネックレスを販売した。またサンリ王の土橋氏と会い、いろいろな話をしていくうちにサンリオウはジュエリー、九團次氏は演技で「人びとを感動させたい」という思いがかさなり意気投合していったのは2018年の初頭。それをきっかけに、両者がコラボする「伝統と革新の融合」をコンセプトにした歌舞伎や日本の伝統文化をテーマとするジュエリーのシリーズを打ちだすことになった。すでに自身のブランドをもつ九團次氏だが、物販の最高峰である貴金属とダイヤモンドなどの天然石によるジュエリーブランドをいつかは手掛けたいと思いを募らせていたのだ。そして早速サンリ王のもとで会社のスタッフと共にプロジェクトがスタートとした。九團次氏の意見やアドバイスを中心に、ブランドコンセプト、イメージカラー、ロゴなど歌舞伎の演目内容、登場人物などを深掘りしてシリーズごとに進められた。音楽と同じように歌舞伎のような優れた物語が長きに渡って人々を魅了しているのは、観るごとに人々の状況や心境によって異なる輝きを放ち続けているからで、そこからブランド名【Re;sonate】(リゾネイト)(Reは繰り返しを表し、sonateは器楽を使った音楽の奏鳴曲:ソナタのこと)に命名した。

 ついにブランドコンセプト「伝統と革新の融合」による第一弾、気高さや信念、美しさなど自分自身がもつ才能を開花させたことで人生を切り開いた歌舞伎を語るには欠かせない5人の女性をテーマにした【花ひらく】シリーズが生まれた。

使用する地金はプラチナ、イエローゴールド、ピンクゴールドの3色展開で、石は天然ダイヤモンドを使用、今後は色石も導入予定だという。ターゲットは、本物の良さを知り尽くしトレンドも押さえつつ日本の伝統や文化に造詣が深く、上質なものを好む50代以上の女性。

シリーズの最初に登場するのは、巫女でありながら歌舞伎の創始者である自らの才能で新たな芸術文化を作り上げた傾奇者であった出雲阿国。ちなみに、歌舞伎の語源となった「傾く」とは、真っ直ぐではなく一筋ではいかないアウトローを意味するそうだ。

週刊NY生活No831 8/21/21`宝石伝説43山梨と宝石「伝統歌舞伎とダンシングストーンの融合」16

     
      山梨と宝石「伝統歌舞伎とダンシングストーンの融合」16


 世界の宝石業界に革新をおこしたダンシングストーンが日本の伝統文化である歌舞伎の舞台に登場するのをサンリオウ土橋氏は眺めていた。その歌舞伎の歴史に少し触れようと思う。

 江戸時代の初期、出雲大社の巫女であった出雲阿国(いずものおくにの表記は当時の資料にはなく、口伝を筆記したなど諸説あり)は京にて、かぶき踊り(奇抜な格好でおかしなことをする「傾き者(かぶきもの)」と呼ばれる者たちの、扮装やしぐさを取り入れた踊りのこと)を舞っていたことでひときわ大きな人気を集めた。やがて、お国一座は京都で人気が衰えると江戸をふくめた諸国を巡業するようになる。三味線による囃子が新たに加わった、男装した遊女と遊女の猥雑なかけ合いのかぶき踊りは、遊女屋でとり入れられたことから「遊女歌舞伎」とよばれ、とうじ各地の城下町に遊里がつくられていたことでわずか10年あまりで全国に広まった。 一方で、お客にとってそこは遊女の品定めの場でもあったといわれる。まもなく、女性が舞台に立つと風俗が乱れるとの理由で女歌舞伎は幕府や藩によって禁止されるが、その後の少年らによって演じられる容色を全面にだす「若衆歌舞伎」も然りであった。のちほど歌舞伎は成人した男性が演じる名目で新たな上演のしかたが模索され、演劇の性格を強めることで舞台芸術として発展し現在に引き継がれていく。

 さて、新ブランド【Re;sonate(リゾネイト)】の商品制作にはサンリ王のもとに、会社の副社長、スタッフと歌舞伎役者の市川九團次プロデュースにより進められた。身につける人の心に直接語りかけるストーリー性のあるデザインで、コンセプトは本物を知る女性に贈る上質さのなかに華やかさと粋な遊び心を感じさせること。その第一弾は、来月(9月)にローンチするという「花ひらく」シリーズで、心の奥底に秘めた才能を開花させる女性のエンパワーメントジュエリーとして、歌舞伎を語るうえには欠かせない5人の女性をテーマにしたモチーフになっている。

 元来わたしたちは、きれいなものや風景をみたり触れたりなど感動することにより、モチベーションが上がって生きる力が湧いてくる。その最大なひとつはガイア(地球)から提供して頂くキラキラと輝く宝石で、太古の昔から人びとはそれに翻弄されながらも魅了し続けているのだ。


2021年9月7日火曜日

週刊NY生活No.827 7/17/21'宝石伝説42山梨と宝石「エクセレントロック」(止め金)15

 
   山梨と宝石「エクセレントロック」(留め金)15

 

 世界を舞うクロスフォーカット、ダンシングストーンを演出したサンリオウの土橋氏はその舞台裏に目を向け始めた。きっかけとなったのは「ジュエリーをもっと簡単に身に着けたり外せたりできれば」との最愛の伴侶からの呟きからだ。

 ネックレスやブレスレットを装うさいに必要となってくるのがクラスプ(留め金)で、脇役でありながら主役の華やかな舞(ジュエリー)を支えてつなげていく重要な役割を担っている。さらにわずか数ミリの貴金属などのチェーンに合わせるとおのずと小さくなり着けづらい。自らの経験上だが、片手でつける難しさも加わるテニスブレスレットなど、時間がないときは着けることを断念していた。チェーンを簡単につけられ、デザイン上でもジュエリーの美しさを損なわないクラスプがあったら良いなと願うのはジュエリー好きな人のもつ共通の要望だ。

 その矢先、救世主サンリオウにより開発されてお披露目されたのが、縦長構造によりチェーンのラインに沿ってデザインを損なわずにつながり充分にその美しさを堪能、簡単に片手で挟んで着脱できる止め金具の「エクセレントロック」(特許出願中)だ。そしてこれはダイヤモンドに刻んだクロスフォーカット、ダンシングストーンとすべてを繋いでいく影の立役者になっていく。氏は、「クラスプは地味ではあるけど、チェーンをつなげるのに欠かすことができない大切なパーツなので、すべての商品とコラボレートしてお互いにwin-winの関係を保てば、大きな市場になると思う。また世界のジュエリー市場は50兆円に迫るといわれているなか、クラスプの市場は2000億円になるのでは」と期待に胸を膨らませる。さらに「エクセレントロックの上に蝶々などのカバー(ジャケット)を制作したが、お客さまがOEMでオリジナルのカバーを作ることもできる」と語る。

 2019年の秋、香港の展示会にてこのクラスプを発表したところ予想以上の大きな反響があり、たった1日でジュエリー業界の大手が押し寄せたとのことだ。氏は「この商品は、世界のブランドと共存・共栄の関係を築けるしまた、していくべきである」と語尾を強める。「そして多くの人々が使ってくれることにより世界中に広まっていくのでは」と、三方良しの現代的経営哲学をもつサンリオウの瞳は、ダンシングストーンのようにキラキラと輝いてみえた。


週刊NY生活No.823 6/19/21' 宝石伝説41山梨と宝石「踊り続けるダンシングストーン」14

  
 山梨と宝石「踊り続けるダンシングストーン」14

 

 サンリのオウ土橋氏は社名にもなった「クロスフォーカット」を誕生させた後、人間のわずかな振動がともなっていれば、ダイヤモンドの最大な魅力であるシンチレーション(キラキラの輝き)が絶え間なくつづく画期的な「宝石のセッティング方法」を生みだした。そして宝石がまるで踊っているような姿から「DancingStone」と命名し、この石を揺らす部分の仕組みの特許を取得する。そして2011年に発表するやいな世界的なヒットとなり、当時の年間販売数は360万個にも及んだ。氏は、宝石業界を震撼させる従来なかった新商品を生みだすという奇抜な独創性が評価され、2014年度の「山梨産業大賞・ものづくり大賞部門」を受賞し、その3年後には東証ジャスダックに株式会社上場を果たしていく。

 世界中で昔から水晶にはあらゆるパワーがあるとされ、日本でも戦国時代の武将、武田信玄は戦いの際には常に水晶の「大念珠」を戦勝祈願のお守りとして身に付けていた。山梨県は水晶の大産地でありながらやがて枯渇するも、その加工技術が優れていたことから宝飾産業は大きく発展していく。なかでも甲府市はドイツのイーダー・オーバーシュタインと並ぶ「世界二大宝石加工の街」といわれ、1990~91年のバブル絶頂期に日本のジュエリー市場が3兆円規模だったころ出荷額全国第1位を誇っていたが、バブル崩壊後急速に縮小。2008年のリーマンショック、そして東日本大震災には9000億円を割り込むなど厳しい状況が続いた。さらに少子高齢化や若年層の所得水準の低迷などから今後も国内だけでは飛躍的な売上は見込めない一方で、経済発展の続く中国やインド、東南アジアでの需要は右肩上がりだ。数年前、宝石の展示会で知り合いのブースを訪れた時のこと。奥に座っていたアジア風の女性が自国に向けてのライブ配信をしていた。彼女が母国語を早口でまくし立てながら次々に身に付ける宝飾品はその場で売れていく。まるで深夜のショッピングチャンネルさながらの盛況ぶりだった。

 ダンシングストーンの今日までの累計販売個数は3000万個に至る。自社ブランドであるCrossfor New Yorkにて女性・男性用ジュエリー、小物用品などにセッティングして販売するほか、国内はOEMとして製品を、海外では揺れる部分のパーツを卸している。ダンシングストーンのマーケットはアメリカ、インド、タイ、香港などが中心で、今なお全世界をまたにかけて踊り続けている。

2021年8月9日月曜日

週刊NY生活No.819 5/15/21'宝石伝説40山梨と宝石「宝石を愛する無厭足(むえんそく)サンリオウ」13

      山梨と宝石「宝石を愛する無厭足(むえんそく)サンリオウ」13

 

 宝石の中央に神秘的な十字の輝きが現れるクロスフォーカットは、光のリフレクション効果によるもので精巧な技術が要求される。なぜならわずかでもカットの狂が生じるとクロスが浮かび上がらないのだ。ダイヤモンドの価値をわかりやすくするためにGIA(米国宝石学会)が制定した4C(Carat、Cut、Color、Clarity)のうち輝きを引きだす研磨状態の評価にあたるCutの基準は、一般的に知られているラウンドブリリアントカット(58面体)に限られ、プロポーション(全体のバランス)、ポリッシュ(研磨の良し悪し)、シンメトリー(対称性)の3つを総合して5段階(excellent→ very good→ good→ fair→ poor) にて判断する。それに対して完璧なカットが評価されて特許を取得したクロスフォーカット(46面体)は、すべてのカットがexcellentになる。

 2001年、国内業界で初めて特許を取得した「クロスフォーカット」をきっかけに、サンリオウ土橋氏の会社は非常に大きな転換期をむかえる。国内での売り上げが伸びてそれと比例するように社員も数十人に増えた。「世界的ブランドになるのでは」と、氏のモチベーションは高まり商品を世界で展開する決断を下す。その自信の表れとして2002年、社名をシバドから株式会社クロスフォーに変更。数年後には、香港に子会社を設立して2人の息子たちに任せる(現在はコロナの影響で国内待機中)。ちなみに立ち上げた自社ブランド「Crossfor New York」にてこのカットが施された女性用・男性用のネックレス、ペンダントなどのジュエリー、小物の商品を販売しており、カットが確認できる特殊ルーペも添えられる。

 まるで仏教に帰依した後の無厭足(むえんそく)のようなサンリオウは、「ダイヤモンドよりも輝く宝石は作れないが、輝きをさらに引きだす仕組みは作れないか」と大望に満たされていく。すると「宝石が輝くのは光が反射したときだ。常に石が何らかの作用で動き続ければずっとキラキラと輝き続けるのではないか?」と脳裏に閃きが走る。そして石が動くからくりを昼夜を問わず考える一方で、金型を何度も作ると莫大な費用が生じるため自宅の台所で大根などの野菜をくり抜いて試作する。やがてサンリオウは、試行錯誤の日々を経て鋭利にとがった接合部をもつ丸環でぶら下げた宝石が、己の呼吸や心臓の鼓動などわずかな動きに反応して揺れてると光が反射し続けるメカニズムを生みだす

週刊NY生活No.815 4/17/21'宝石伝説39山梨と宝石「世界で唯一のクロスフォーカットの誕生」12

      山梨と宝石「世界で唯一のクロスフォーカットの誕生」12



 「これまでどこにもなかったもの」を創造する。宝石の輸入商から製品を扱うといった業態転換(1999年)を決断したサンリのオウ(土橋社長)は、ファッションに関わる必要性も感じていた。

 1980年に立ち上げた土橋宝石貿易時代を経て、株式会社シバトを設立した際には社員は5~6人ほどで年商も億単位になっており順風満帆な道を歩んできたが、起業して10年以上が過ぎた90年代にバブルが崩壊。日本の宝石業界は大ダメージを負い、同氏の会社も回収できない資金が発生、売上も最盛期の3分の1までへり経営危機に陥っていく。「宝石の輸入・販売で他社と差別化をするのはむずかしく価格競争になっていく。これからの時代はクリエイティビティ・オリジナリティを発揮して付加価値を高めないとダメだと思った」とサンリのオウは語る。基本的にポジティブ思考な面をのぞかせる氏はものごとに向かっていく強いエネルギーを秘めており、また「成功させたい」という気持ちも強く、その信念は周囲の者に伝わるだけではなく、それに導かれるような現象がおこり、イメージしていることがどんどん具現化していくのだ。宝石を熟知しこよなく愛していた氏の脳裏に「何か世の中に未だない宝石のカット」と浮かぶ。すると、ニュースにて、ダイヤモンドを八角形に仕上げるフランダースカット(1987年、ベルギーのフランダース地方で誕生したその美しい形と通常のブリリアントカットのように光をきれいに反射させる2つの魅力を持ちあわせた完璧なカットだが、原石を通常よりも多く削る勿体なさから普及はしずらい)が1995年、特許を取得したことを知る。そして、氏はいくつものカット形態を考えていた矢先、ダイヤモンドの一番歩留まりがよく、ラウンドブリリアントカットの輝きを創造できるのは、宝石の中に十字が見えるものだと気づく。数年後の2001年、日本で唯一、宝石のカット形状におけるダイヤモンドの切削技法「クロスフォーカット」で特許を取得する。46面体のカットで反射光線の効果を最大に引き出し、石の中に十字の輝きが浮かび上がるとして国内のみならず海外でも話題をさらった。ちなみに、ことわざに「好きこそものの上手なれ」とあるが、開発段階から特許を視野に入れて戦略的に生み出されこのカットは、発案から開発までサンリのオウが1人で行ったというから頭が下がる。


週刊NY生活No.811 3/20/21'宝石伝説38山梨と宝石「サンリオウのrightなlight footwork」11

      
       山梨と宝石「サンリオウのrightなlight footwork」11


「宝石のルースを海外で調達して山梨のジュエリーメーカーに売ればビジネスになる」と確信をもち宝石貿易商として独立を目指した土橋氏は、宝石を輸入するにも専門知識や英語力が必要だと思った。早速GIA(米国宝石学協会)のロサンゼルスに位置するサンタモニカ校(現在ではサンディエゴのカールズバッドに本校を構える)を選び渡米する。成功者のもつ特徴でフットワークが軽く行動力があるのだ。今日に至るもGIAは地球上、ダイヤモンドに関する鑑定機関でトップクラスだ。氏はそのころ英語が全く話せないまま勢いで渡米したため、そのハンディキャップをうめるが如くほかの人の3倍、寝るのも惜しみ毎朝5時まで勉強したという。そして「日々試験があり3回落ちると退学になる決まりがあったと」当時を振りかえる。一般的に米国では、入学するより卒業するほうが難しい傾向がありそれは日本の大学とちがう。ちなみにGIA日本校(現在は閉校)では、ペーパー試験の後に実施される20種類(いくつかのパターンあり)の宝石鑑別にて100点満点を得たものだけがディプロマを授与された。実際に見たことのない特徴を持つ1石が全てのパターンに混入しているのは応用問題で困難を極めるが、それまで学んできた成果を問われる。試験に受かるまで繰り返すシステム(数回後は追加料金発生)だ。余談だが私は2度目でパスできた。

 ところで、世界中から集まる学舎で卒業した土橋氏の交友は広く、同級生のみならず先輩後輩が各国のジュエラーとして活躍しており、現在でもみんなが協力体制のもとに繋がりを持っているという。そのうちのインド人同級生が2年前にタイのジュエリー協会の会長に就任したことは大きな嬉びだと語る。タイのバンコクといえば、ルビーの大半とそのほか多くの貴重な宝石がこの都市から世界中に流通していく宝石主要都市の1つであるのだ。

 帰国後の1980年、宝石の鑑定資格を取得した土橋氏は、現在の社名である「クロスフォー」の前身となる土橋宝石貿易を1人で運営したのち、株式会社シバトを設立するやいなや、年商数億円に達するほど法人化には充分すぎる会社に成長させる。そのころ、今では宝石業界でも一般的な国内外の展示会はなくて宝石のルースを調達するために土橋社長は、自ら海外の原産地に赴いていったという。


週刊NY生活No.807 2/20/21'宝石伝説37「サンリの(宝石)オウ誕生」10

         
         山梨と宝石「サンリの(宝石)オウ誕生」10


 日本が誇る代表的なキャラクターに、向かって右側の耳の付け根にトレードマークである赤いリボンを付けた通称「キティちゃん」がいる。これは山梨県の株式会社サンリオで誕生した猫を擬人化したもので、その可愛いさに世界中の子供たちだけではなく多くの女性が心を奪われている。その昔、私がニューヨークに留学していた頃、週末に放映されていた日本の番組に、サンリオの現社長でもある辻信太朗氏が出演された。なぜキティちゃんには口がないのかとのアナウンサーからの質問に「口は災いの元になることも多く、真の友だちになるのに口は要らないのでは」と答えた。また社名である「サンリオ」の由来に関しては、社長の出身地である山梨の音読み「サンリ」と発音し、山梨県の王を目指して命名したと記憶する。その後キティちゃんは山梨県のやまを飛び越えて世界中のお友だちになっていく。成功するステップは、先ずは心に想い描き、それを口にし、そして行動に移すとあるが、まさに有言実行となった。

 ところで、山梨県といえば世界一の宝石研磨地ドイツのイーダーオーバーシュタインに次ぐ日本の宝石のメッカだ。そこにもう一人のサンリ(宝石)王が現れる。

その方は、ダイヤモンドのカットでもっとも有名な「ラウンドブリリアントカット」に並ぶ、クロス(十字架)のような輝きが出るクロスフォーカットや、宝石の最大な魅力のひとつであるシンチレーション(キラキラと揺らいで輝く)を最大に引きだす石留め方法などを、世界に先立ち生みだした株式会社クロスフォー社長の土橋秀位氏だ。

 山梨県、日蓮宗総本山の身延山久遠寺のある身延の周辺で産声をあげた、どこかしら日蓮大聖人に似かよった土橋氏は、高校を卒業すると一度は宝石と関係のない企業に就職するもわずか2ヶ月で退社。雇われの身が性分に合わず、自立しかないという結論を下したのだ。そして大学に進学するが、在学中に海洋資源の探査などを行う一方で、世界を放浪するような仕事にも憧れを抱きだす。その矢先の東南アジア滞在中「サンリの(宝石)王」への階段を上がって行く(宝石業界に進出)キッカケとなるできごとが起こる。それは、あまりの美しさに心を奪われるような、宝石の原石に遭遇したことだ。「原石を調達して山梨の宝石職人に売ればビジネスになるのでは」と閃いたのだ。


2021年5月3日月曜日

週刊NY生活No.803 1/23/21`宝石伝説36「コラボによる甲州切子カットの誕生」9

    
      山梨と宝石「コラボによる甲州貴石切子カットの誕生」9


 日本の誇る江戸(薩摩)切子は、やがて宝石研磨業界を震撼させる甲州貴石切子カットへと変貌を遂げるが、その凄さは一言では語れない。というのもカットしていく対象が安定した人工的なガラスと違って、天然石のもつ特徴である硬さや劈開性(特定方向からの衝撃に弱い)が石によって異なりそれによりカットの方向などを変えなければならないのだ。また大きさそのもが前半的に数センチの範囲で小さく繊細な作業を要する。ちなみに100分の1の狂いも許されないカッティングが可能な最小サイズは6ミリだ。

 甲州貴石切子カットを考案したのは、山梨ジュエリーミュージアムにて数ヶ月に一度宝石研磨体験の講師をされている深澤陽一氏。その昔、ドイツで有名な宝石研磨職人のムーン・シュタイナー氏の作品を見て感動し、自身でもそのようなものをいつか作りたいと思ったことが始まりだという。そのうちに浮かんできた切子カットの構想はいつも頭の隅にあったが、その頃それを作るだけの技術は身に付いておらず、実現に至るま約20年の歳月が過ぎたとのこと。ようやく形になってきたところで、同じく山梨県立宝石美術専門学校で教壇に立つ清水氏に切子カットの話しを持ちかけ、試行錯誤を繰り返しながら構想はやがて完成の一途を辿る。

 製作工程は、最初にお決まりの原石から荒削りをして、オーバルやスクエアなど外側の形を決める。そこから切子文様の形を決めて石に放射線状の下書きをするが、この作業が綺麗な切子になるかどうかが決まる重要なポイントとなる。わずかな狂いも許されない、緻密で完璧な下書きが要求される匠だけがなし得る技だ。その後は、毛引きと呼ばれる描いた線の上に、細工台(彫刻機)で細い線を作っていく。そこから荒削りでV溝を作り、中摺りを経て仕上げ摺りをして磨く。この仕上がった切子面のあと、清水氏によりファセット面が出来上がるが、この工程は順番が逆のこともあり、お互いにカットの作業を開始し出来上がったら交換して仕上げていくという。

ちなみに、切子のデザインは昔からある日本の文様(斜格子、魚子、霧など)がベースで、5パターンある。また使用する宝石は、水晶など硬度が7前後が適しているという。


週刊NY生活No.800 12/19/20`宝石伝説35山梨と宝石「江戸切子から甲州切子へ」8

       
       山梨と宝石「江戸(薩摩)切子から甲州切子カットへ」8

 

 伝統工芸品に興味がある方なら一度は目にしている、ガラスの表面に紋様カットを施して装飾(赤や青の着色が多い)されたグラスは江戸時代から伝わる切子細工という技法だ。

その代表的な江戸切子は、江戸時代後期(1830年代)大伝馬町でビードロ問屋を営んでいた加賀屋久兵衛が、西洋から持ち込まれたガラス製品に金剛砂を用いて細工をしたのが始まり。当時、黒船が来航したときの献上品であった加賀屋の切子瓶を見たペリーはその美しさに感銘を受けたという。そして明治時代に入るとガラス製作が政府の事業となり、ヨーロッパの新しい技術も導入してその伝統は絶えることなく現代に受け継がれている。一方、薩摩切子は薩摩藩主28代目の島津斎彬が諸藩に先がけ、製鉄、紡績など大規模な近代事業を推進したうちの一つだったガラス工場で生まれた。「薩摩の紅ガラス」と称賛されるほど、美しいガラスの着色方法も次々に研究するなか、1863年薩英戦争で工場が消失、明治時代の西南戦争と続き、残念なことにそれらの技術は完全に途絶えてしまった。そして100年後ようやく鹿児島市に薩摩ガラス工芸が設立され復元を遂げる。

 双方の違いは、江戸切子は色ガラスの部分が薄く、カットした透明な部分と色付きの部分の境目がシャープになるのに対して、薩摩切子は色ガラスの部分が厚いため、カットすると境目の部分がグラデーションのようになる。それらは伝統工芸品としての指定を受け、グラスなど食器のほか、現在ではインテリアやアクセサリーなどにも進出している。

 ところで、2015年それらに次ぐ第三の切子が日本一の宝石加工地、山梨県甲府で誕生した。それは、ファセットが合計180面を有する「キキョウカット」と呼ばれる無二無三の多面体カットを施す清水幸雄氏と、山梨ジュエリーミュージアムにて宝石研磨体験の講師をする伝統工芸士の深沢陽一氏とのコラボによる唯一無二の「甲州貴石切子」だ。このカットの技法は、宝石の表面にファセットカットを清水氏がを施し、下部の底面に切り子模様を深澤氏により刻み込んだもので、覗くとキラキラと輝く見事な和の文様が現れる。この世界初のカッティング法は2017年に商標登録が完了し、各界からも熱い注目を浴びることになる。


週刊NY生活No.796 11/21/20`宝石伝説34山梨と宝石「新発想のカットパターン」7

          
         山梨と宝石「新発想のカットパターン」7


 社内に職人をかかえて育成し自らも宝石のカットを施すかたわら、県立宝石美術専門学校にて教壇に立つ、八面六臂の活躍をされている甲府の研磨職人の巨匠清水氏がこの業界に入ったのは、すでに宝石の仕事をしていた兄の影響で自然の成り行きだった。昔を振り返えると修行しているときはかなり辛かったという。当時、研磨するときの金剛砂は高価でどこの工房も再利用した。「桶を洗い砂の粗さを揃える作業に極寒の中でも水を使うが、歯を食いしばって頑張ってきた。現在の自分は下積み時代に支えられている。業界に入って40年以上経つが、評価されてきたのはここ数年だと感じる。今でも満足することなく、まだまだ一生修行だ。これからも技術を磨いて色んなものを作っていきたい」と淡々と語る。工匠の謙虚な姿勢のなかに、神の手を授かり黙々と偉大なキキョウカットを仕上げながら少し先を見据えた可能性と勢いを感じた。

 貴石とは、①外観が美しい、②希少性が高い、③硬度が7以上で耐久性ある。この3つの条件が基本的に揃った宝石を指す。一方、沢山採取できる宝石はどんなに綺麗でも半貴石となり価値が下がる傾向があるのだ。ところが、清水氏はそれらに、付加価値として独特のカットを宝石のなかに施すことにより、②の「希少性が高い」に近づくよう半貴石の宝石に息を吹き込み、奇跡を起こした。それらは、桜インカット、ハートインカット、スターインカット、ダンデライオンカットなど複数のデザインのカットがあり、現段階では最小6ミリのルースにもカットが可能で、海外でも注目されている。

 ちなみに、スタッフである女性職人により考案された「桜インカット」は宝石の正面中央に桜の花が浮きでる。その花びらの形はふっくらしたり、シャープになったりと職人の個性がでるという。手作業のため一つとして同じものはなく、まさに「世界で一つだけの(桜)花」となり、手に入れた人はそれを指輪やネックレスにしてその優越感に浸れる。やがて清水氏は伝統工芸士の深澤氏とのコラボにより生みだした、表面のカット5種と、裏の切子カット5種の組み合わせで計25種類のさまざまな模様と輝きをもたらす「甲州貴石切子」というさらに芸術的なカットを施した宝石を世に出すことになる。

週刊NY生活No.792 10/17/20`宝石伝説33山梨と宝石「巨匠のキキョウカット」6

          
         山梨と宝石「巨匠のキキョウカット」6


 ファセットカットとは透明から亜透明の石の表面に施すカットのことで、その面が多いと宝石は光を反射してキラキラと輝く。それゆえ婚約指輪のダイヤモンドは、58面体を施したブリリアントカットが定番となっている。また最近は144面体にカットされたダイヤモンドがあらわれた。

 ところでそれを上まわる、硬度7前後の水晶などに正五角形12枚で囲んだ正十二面体をベースにして、それぞれの五角形の中心に向かって稜線のある五面のファセットカットが合計180面を有する、形が桔梗の花びらに見えることから「キキョウカット」と呼ばれる多面体が存在する。これは世界で唯一無二のカット技術で、すべて手作業により手先の感覚と摩擦の音だけで宝石をカットしていく甲府の宝石研磨職人の巨匠である清水幸雄氏によるものだ。彼曰く、「こいつに出会ったのは昔、ジュエリーマスターを受験しようと思い師匠のところに相談に行ったときに、「これをやってみろ」って見せられたのが最初。その頃、師から教えてもらったのは「12面体を切れ」ということだけ。あとは見よう見まねでチャレンジして、3、4個失敗はしたけどすぐにコツをつかんでできた」と。その後、御師はすぐに亡くなったが、やり方を教えてくれなかったことが逆に闘争心に火がついたという。設計図はなく、完成形を頭のなかに描き手触りと勘だけで削っていくという。正確な180面体のキキョウカットを切るのは至難の技で20年以上はかかるそうだ。清水氏が宝石をカットし始めるときの集中力は半端ない。恐らくすぐ瞑想状態に入り、宇宙と一体化し手が動きだし神業を成し遂げるのではと、ふと思った。それだけ「キキョウカット」は精緻で美しいのだ。この技術を受け継ぐ職人は現時点で誰もいないのもうなずける。原石の大きさと質によるが、仕上がった宝石の大きさは最小で直径8mm位から数センチがおもだ。帰り際に、水晶占いで用いるような直径7cmくらいの大きくてみごとなキキョウカットの水晶を取りだして見せて下さった。工匠は、これだけの大きさが切れる原石は滅多にないのと、カットの作業中片手でずっと重たい宝石を抱えていることから制作が大変で、基本的にこのマスターピースは誰にも売る気はないと呟いた。


週刊NY生活No.788 9/19/20`宝石伝説32山梨と宝石「甲州職人の技手擦り」5

          
        山梨と宝石「甲府職人の技 手擦り」5

 

 バブルの頃、国内の宝飾産業は4兆円産業といわれたが、最近では約7千億円まで落ち込んでいる。それは海外ブランドの輸入、アジア近隣諸国の台頭、既存の販売ルートの衰退などが追い討ちをかけたからだ。この状況改善のために、山梨では研磨宝飾の伝統技術を活かしたもの作りをブランド化して、グローバル市場に対応した生産地としての新たな試みがはじまった。

 甲府駅からタクシーを走らせ7~8分、移動する雨雲がちょうどきれた眩いかぎりの陽射しの先に、設立から35年を迎える(創業はその17年前)株式会社シミズ貴石があらわれ、玄関先に代表の清水幸雄氏が来られた。宝石一筋半世紀を迎える世界で唯一の宝石研磨技術を持つ職人は、2016年、黄綬褒賞を受賞されるもその勢いは現在なお進行形だ。

 さて、甲府の職人の得意技である、手擦り(手で石を持って、平面を研磨機に直接当てて研磨する技術)によるカットは手先の感覚と摩擦の音だけで切る方法で、世界的にみても甲府職人だけができる難しい技術だという。せっかくだからということで、実際の手擦りの過程を見学させて頂くことになった。2階に上がると磨かれる前の色とりどりの原石が待機する部屋とその隣りは、すでに磨きを終えてデビューを待つ宝石のルースが勢ぞろいする。そして、一般的なカットは勿論のこと、山梨の研磨宝飾の伝統と技が集結した幾つかの独特なカットを施す部屋があり数名の職人が作業中だった。ちなみに、日本には原石からカットして宝石を仕上げる会社は数社だけとのこと。

 そしていよいよ、大きさ2cmくらいの原石が匠の手にかかる。荒削り後、細かい金剛砂で削る面によって力の加減を変えながら手擦りをはじめてものの10分ほど。あれよあれよという間に歪な形をしたかたまりが、まるでマジックを観ているが如く見事なエメラルドカットに仕上がった。最後の工程はスタッフの女性により、青粉という酸化クロムを使いケヤキの木に当てることにより、ピカピカに磨きあげられたピンクがかった淡いアメシストの宝石が誕生した。名匠いわく、「カット面が平行に当たっているかを摩擦の音で判断する手擦りで一つの宝石を仕上げるのは、一朝一夕とはいかず10年はかかる」とのことだ。