Jewelry sommeliere

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津延美衣(つのべみえ)NY州立大学FIT卒業。米国宝石学会鑑定有資格者(GIA-GG,AJP) 運命学・自然医学・アート・アロマテラピー・食文化などの知識を元に感動的な人生を描くプランナー・エッセイスト・キュレーター兼ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere) 美時間代表。

2022年7月3日日曜日

週刊NY生活No.870 6/18/22' 宝石伝説53山梨と宝石「日本の神々『神婚と虹の橋』とジュエリー26

 
 山梨と宝石「日本の神々『神婚と虹の橋』」とジュエリー26


 『古事記』によると、イザナギとイザナミの二神は天と地をつなぐ天浮橋(あまのうきはし)の上に立って血の交わりをしたと伝える。この橋は虹だといわれ、太陽光線が空中に浮かぶ小さな水滴のなかで反射屈指して起こる光の現象で、吸収されないで反射された波長の光が、赤・黄・青・緑・紫などの色として眼にうつる。ちなみに、虹が天地の通路とする伝承は、昔から民族宗教や土俗信仰と密接なかかわりをもち、日本に限らず古代ゲルマンやインドネシア・台湾の高砂族、インディアンなど、また子どもの霊が虹に乗って昇天するという信仰がオーストラリアやドイツにみられたり、世界的に広く分布している。

 このように、色はものを認識するうえでの基礎になると同時に、光の波動から人間の感情や心理に働きかけることから、絵画などの純粋美術や、服飾、室内装飾など応用美術に取り入れられてきた。女性の高い声を「黄色い声」というように、通常と異なる感覚を生じる知覚現象を「共感覚」という。心の色にも三原色(青・赤・黄)にすべての色を反射する白と吸収する黒を足した五色があり、眼・耳・鼻・舌・身にあてはめた。それになぞられた五欲(性・食・睡眠・財・名誉)に執着する欲界と、執着心は超越した陰陽両性からなる色界(仏教にて、衆生は生死の繰り返しで輪廻するという三界のうちの二つで、あと無色界がある)を現実につないで結ぶのが虹で、古典文学的に天浮橋と表現した。さて、『古事記』の「二神(イザナギ・イザナミ)の神婚」によると、初産は水蛭子(ひるこ)=水子で流産してしまう。そこで二神は天に昇ってお尋ねしたところ、女が先に言葉をかけたことが原因であったことがわかり、今度は逆に男から声がけをしたところ、淡路島をはじめ、四国や九州などの国土がつぎつぎに生まれる。一般にお金のことはお宝といい子どものことを子宝という。古代の日本人は子孫を繁栄させることも、国造り・物造り・家造りなどすべて夫婦の和合によって生成されるとし、生殖行為を神聖なものとしてシャーマニズム的な儀式として重んじ生活していたと思われる。

 さて、市川九團次氏プロデュースによる天地開闢シリーズに、子宝・安産祈願の神として信仰されるイザナミを中心として万物が誕生するイメージをこめたペンダント『繁栄』(HANEI)が株式会社クロスフォーからでた。

週刊NY生活No.866 5/21/22' 宝石伝説52 山梨と宝石「日本の神々『夫婦二神』とジュエリー25

      
 山梨と宝石「日本の神々『夫婦二神』」とジュエリー25

 

 二万年ほど前まで日本列島はアジア大陸の東端を取りまく外環の一部をなし、北はベーリング海峡から、南は台湾・フィリピン・ジャワ・スマトラに至るまで、氷河におおわれた陸続きで現在の日本海と南シナ海のまん中に、中央アジアのカスピ海のような広大な湖海ができていた。日本では、陸続きであった本土と四国が地質時代の断層で淡路島になったと推考され、兵庫県明石の海岸に露出する洪積世の土中から発見された旧石器人類の明石原人の生息地だった。

『記・紀』によると、天地根元・宇宙の大本体である創造神であるアメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビの三神は、イザナギノミコトとイザナミノミコトの二神に「この流動している日本の国土を造成して、安定させよ」と命じて、アメノヌボコという玉で飾った立派なホコを、天武の賜物として与えた。そして二神は天と地をつなぐ天浮橋(虹橋)の上に立って、天与のホコを地にさしおろして、あたかもくず粉に熱湯をそそいでかき混ぜてくず湯をつくるように、コロコロとかきまわしかたまらせて引き上げたときに、そのホコの先からしたたり落ちるシオ(潮)が積もって島になった。これがオノコロシマと言われる淡路島のことで、二神が最初につくった立派な国土だ。津名郡一宮町多賀には伊弉諾(いざなぎ)神宮があり、二神が国土経営を終えてから、お亡くなりになられた幽宮(かくりのみや)であると伝えられている。一方で、「ホコでシオをかきまわしてかためる」は男女の営みのことで、すなわち陰陽の作用によって生まれる化学的な事実を正しく上品で、巧妙にいい表わした叙述だと賞賛されている。

 諸説あるが、北方系天孫族のイザナギノミコトはさいしょに出雲族のイザナミノミコトと結婚して国づくりに尽瘁したが、イザナミが火の神(カグツチ)を生んで産褥熱で亡くなったので、同族間から後妻を迎えた。イザナギは襲名で何代もの氏上が存在したといわれ、のちに多くの神々を生んだなかで三貴子(天照大神・月読命・素戔嗚尊)に、さきに開拓した土地の手入れをしたり、住居を造りなおしたりしたそれらを与えて統治管理させたといわれる。

 さて、株式会社クロスフォーから市川九團次氏プロデュースによる天地開闢シリーズ、万物が誕生する煌めきを表現したペンダント『創造』(SOUZOU)が出た。


週刊NY生活No 862 4/16/22' 宝石伝説51山梨と宝石「日本の神々『天地開闢』とジュエリー24

  
  山梨と宝石「日本の神々『天地開闢』とジュエリー」24


 八百万の神は、日本人の宗教の原点「アニミズム」の生物・無機物を問わない万物には神(霊魂)が宿り、それを畏怖し崇拝するところからきておりやがてシャーマニズムに発展していくが、すでに日本最古の歴史書『古事記』のなかに見られる。天地開闢(てんちかいびゃく)とは「天地は初め混沌とした一つのものだったが、分離してこの世界ができた」とする古代中国の思想で、奈良時代に編纂された日本の神話や歴史書『記紀』の一つ、唐や新羅など東アジアに適用する目的があったとされる『日本書紀』に引用された。ちなみに、その8年前に完成していた『古事記』は天皇の領・国土の支配、皇位継承の正当性を国内に示す目的があったという。

 宇宙の創造神ともいわれる日本神話の根元三神とは、天之御中主神(アメノミナカヌシ)・高御産巣日神(タカムスビ)・神産巣日神(カミムスビ)といわれ、そこから四~七代目の神(ウマシアシカビヒコデ・アメノトコタチ・クニノトコタチ・トヨクモノ)までは独神(ひとりがみ)で、ヒトの世には出現していない天神七代とされる。その後、八~十一代目の神(ウヒヂニ・スヒヂニ、ツノグヒ・イキグヒ、オホトノヂ・オホトノベ、オモダルノ・アヤカシコネ)、十二代目の神イザナギ・イザナミ(夫婦二神)から男女対偶の二神になり、現世に現れたことになっている。ヒトの生活ともいえる原始的な家庭生活は十代目のオホトノヂ・オホトノベからはじまったとされるが、この男女対偶神は子と母の対偶で『古事記』中巻、第一三九段「国の大祓を行う」の条にある、上通婚下通婚(おやこたはけ)の中に見られる。子と母と犯せる罪に該当する実母と実子とが交わりをすることだ。これは現代の道徳観からすればご法度であるが、人智が開けない道徳観が生じなかった原始時代において人類は、ほかの哺乳動物と同じような生殖をいとなんでいたようだ。

 ところで、イザナギ(伊邪那岐)・イザナミ(伊邪那美)の夫婦二神の間にも曰くはあったが、天神の命により、天浮橋に立って矛を海におろしかきまわして引き上げる方法を繰り返し、日本の国土を形づくり、多くの子(神々)を生んだ。その時の瞬間をイメージしたジュエリーの1つ『いざなぎ』権與(KENYO)。市川九團次氏プロデュースによる株式会社クロスフォーから、待望の日本の神々にまつわる「天地開闢シリーズ」お目見えした。


2022年4月30日土曜日

週刊NY生活No 858 3/19/22' 宝石伝説50 山梨と宝石「歌舞伎の化粧法『隈取』とジュエリー23

  
 山梨と宝石「歌舞伎の化粧法『隈取』とジュエリー」23


 歌舞伎の演目『暫』のポーズをきめて静止し首を回して目玉を中央に寄せる大見得を切る大袈裟な動作とともに顔に施される異様で怖い隈取に、子どもおよび初見の人は衝撃を受けると思う。その歌舞伎独特の化粧法「隈取」とは、初代市川團十郎が、人形浄瑠璃の人形のかしらにヒントを得て創作したものといわれ、坂田金時の息子である英雄坂田金平役の初舞台で、紅と墨を用いた化粧が始まりといわれる。顔の血管や筋肉を誇張するために描かれる異なった色や形状は、役柄によっておおむね決まっている。

 『暫』の主役、鎌倉権五郎に用いられた「筋隈」は激しい怒りに満ちた、超人的な力をもつ勇者の役に用いる紅隈で、いくつもの紅の筋を跳ね上げるように隈を取ることからこの名がつき、あごには三角形の紅を、口角へは墨を入れる。基本的に「紅色(赤)」は、荒事の基本である勇気・正義・強さを表す。そのなかで、「むきみ隈」は若々しく色気があり正義感にあふれた役、「一本隈」はやんちゃで暴れん坊役、「二本隈」は堂々として力強い大人の役などに用いる。武勇に優れた者が敵に捕まり閉じ込められ青白くやつれた役に用いる「景清の隈」は、白い地色に、顔の上半分は筋隈と同じ形の紅隈で、下半分は藍(あい)で取る。眉を際立たせたり、額に位星という丸い形を墨で入れたりする(『暫』の清原武衡など)藍隈は、国を転覆させようとする大悪人の役に用い冷たく不気味な印象を与える。地色を赤で塗り、紅でむきみ隈やあごの下にも隈を取る「赤っ面」は大悪人の家来や手下、考えの浅い乱暴者の役に用いられる。「茶隈」は人間がこの世のものではない妖怪や精霊、悪霊などに変身する役に用いる。その他、豪快な武士なのに、滑稽でおかしみの役に「猿隈」や、悪人なのに間抜けな観客を笑わせる役に「鯰隈」など、それら隈取によって役柄が一目瞭然でわかることは面白い。

 ところで、市川九團次氏プロデュースによる隈取をモチーフにした、お手頃なタイニーピン(帯留め・マスクチャーム)がお目見えした。悪人を睨みつける目はキラキラと威を放つダンシングストーンだが、どこかしら愛くるしい紅隈のデザインになっている。そこにはクロスフォー株式会社広報の女性の目線があった。和装のとき一点だけ「ハズシ」をする着こなしが好きで、遊び心のある帯留めが欲しかった彼女の発想から画期的でとても素敵なアイテムが誕生したのだ。


週刊NY生活No854 2/19/22' 宝石伝説49 山梨と宝石「歌舞伎の演目『暫』」とジュエリー22

   
  山梨と宝石「歌舞伎の演目『暫』」とジュエリー22


 昨年の東京オリンピック開会式終盤に歌舞伎俳優の市川海老蔵は、ピアニスト上原ひろみとのコラボによる斬新な演出で「しばらく、しばらく」と大きな掛け声で登場し、最後には大見得(役者がポーズを決めて静止し、首を回したり目玉を中央に寄せたりする動作)を切るという、日本の伝統文化を世界に発信した。

「暫(しばらく)」とは歌舞伎十八番の1つで、悪人が善人の命を奪おうとしている危機一髪のとき

正義が現れ「しばらく」と大声をかけ超人的な力で荒れて救う。そのルーツは江戸時代で年に1度開かれた「顔見世」と呼ばれるおめでたい歌舞伎興行にある。上演作品のどこかに、ヒーローが「しばらく」と放ちながら登場し、人々を悪人の手から救うシーンを必ず入ることになっていたのだ。明治時代(1895)九代目市川團十郎がここだけを独立させて上演し、それ以降「暫」という1つの作品として現在に受け継がれるが、ストーリーよりも様式化された演出を楽しむ演目といわれる。悪人役は公家姿の清原武衡、正義感あふれる主人公は鎌倉権五郎で、その出立ちは顔に怒り心をあらわす筋隈を紅で描き、頭は角前髪つき両サイドに5本ずつ束ねられた「5本車鬢」(ちなみに前髪があるのは元服を行う前の少年)に侍烏帽子。衣装は、異様に大きな柿色の武士の礼服長素襖に腰帯、その背中には力強さを表す太い綱のような仁王たすきをし、袖は芯張りを入れた巨大な座布団のような形でその中心に市川家の三升紋が入る。巨人を思わせるために長袴の中には高さ約30cmの足つぎをはき腰には格別に長い大太刀を佩びている、まさに「歌舞伎」の語源である「傾(かぶ)き者」(常軌を逸した奇抜な格好・身なり)そのものだ。荒ぶるこの演技の役は、勢いのある強さを表現するため扮装はかなり大掛かりで日頃の鍛錬なしには勤まらないという。

 ところで、江戸時代に歌舞伎役者の中でも特に人気を誇り、大衆を魅了した者を「千両役者」と呼ぶが、実際に江戸中期大阪にある佐渡島座にて二代目市川團十郎が二千両(2億5600万円)で迎えられたという記録が残っている。

 さて、千両役者シリーズのジュエリーが(株)クロスフォー(市川九團次氏のプロデュース)からお目見えした。その1つが商品名【枡】。暫の着物に描かれた三紋枡をモチーフにしたもので、勢いとパワーが感じられるデザインだ。

2022年2月7日月曜日

週刊NY生活No850 1/22/22' 宝石伝説48 山梨と宝石「歌舞伎の演目『仮手本忠臣蔵』」とジュエリー」21


山梨と宝石「歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』とジュエリー」21


 江戸時代中期1701年元禄14年3月14日、江戸城内松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が吉良上野介を刃傷(にんじょう)に及んだことに端を発して、加害者の浅野は即日切腹、お家取り潰しとなった。その結果を不服とする家来の大石内蔵助と四十七浪士は、主君の仇討ちとして元禄15年12月14日、未明に本所・吉良邸へ討ち入りし首級をあげたその後、切腹に至った一連の事件を総称して「赤穂事件」と呼ぶ。主君の遺恨を晴らすべく命をかけた行動は民衆から喝采をもって迎えられたのは、忘れかけていた武士道を体現した一方で、当時の人々が幕府のやり方への理不尽さを日頃から抱いていたのではと思う。

 赤穂浪士の討ち入り後、事件ものを扱った物語がいく度となく人形浄瑠璃、歌舞伎などで作られた。そのなかで白眉となったのが1748年、大阪にて初上演した人形浄瑠璃の演目「仮名手本忠臣蔵」で、(ひら仮名47文字=赤穂四十七士、諸説あるが、武士の手本となる忠臣らと大石内蔵助の「蔵」をかけた。主のために命懸けで仇を討ったヒーローたちへのオマージュも感じる)絶大な人気から歌舞伎にリメイクされた。また史実を扱うことから、幕府のお咎めを避けるためその時代設定は室町時代にし、登場人物の名前もすべて仮名にした。

 さて、全十一段に及ぶなかの重要人物は、高武蔵守師直=吉良上野介に対し、刃傷事件を起こした塩治半官高定=浅野内匠頭と、浪士とともに仇討ちを念入りに計画・実行した大星由良之助=大石内蔵助だ。物語には「南無阿弥陀仏」の来世での幸せを信じるせいか命を尊ばない場面も多く、その背景にはどうにもならない貧困があったのではと思わせる。また、それに巻き込まれて翻弄される人々の、笑い・涙・人情・悲劇が展開する。そんななか、顔世御前(浅野の正室)に仕える腰元だった「おかる」は、のちに夫となる塩治家の家臣である勘平(気の毒にも誤解と勘違いから切腹に追い込まれる)の資金繰りのため自ら遊郭に身を売ってしまうが、恋人のために奔走する行動力をともなった一途さは凛として輝く。それを表現したジュエリーが、歌舞伎俳優 市川九團次プロデュースによる(株)クロスフォーのブランド【花ひらく】シリーズの商品名「矢絣」「恋一途」として蘇った。

2022年2月6日日曜日

週刊NY生活No847 12/18/21'宝石伝説47 山梨と宝石「歌舞伎の演目『義経千本桜』とジュエリー」20

 


山梨と宝石「歌舞伎の演目『義経千本桜』とジュエリー」20



 歌舞伎の演目の一つ『義経千本桜』は、江戸中期1747年11月大阪竹本座で初上演された。源平合戦という史実をもとに、五幕ある場にて主人公が代わりさまざまな人間模様が色濃く繰り広がる。義経が兄源頼朝との争いを好まないことをはじめに登場する者たちの人情深さから、日本人(大和民族)のもつヤップ遺伝子の特色が垣間見られる。さらに、宙吊りなど舞台仕掛けの面白さも楽しめる演目だ。物語は、義経が屋島の源平合戦で大活躍したのにもかかわらず、頼朝の策略で都落ちになリ各地を逃亡する道中、じつは生き延びていた平家武将の(維盛)、知盛、教経らが復讐を誓う展開が中心となる。一方、義経は、京に滞在中に出会った白拍子(男性の服装に刀を身につけ舞いを披露する遊女でもある)の静御前を愛妾にするが落ちゆく旅に連れていかれず、後白河院の御所から戦勝の功として賜った初音の鼓を彼女に与え木に縛りつけ去った後、追手の危機に晒される静を救った家臣の佐藤忠信(その正体は、鼓の皮にされた狐の子供)に「源九郎義経」の名を与え静のお供を命じる。静は恋慕の義経を思い鼓を打ち、それを聴きながら忠信狐は親を乞うなど哀愁を描く。(ちなみに、江戸時代中期の絵師勝川春常の初代坂東三津五郎演じる源九郎狐の浮世絵は、サンディエゴ美術館に所蔵されている)

 この演目の見どころは、「渡海屋・大物浦の段」の平知盛が幽霊姿で義経を襲おうとしたあたり。「すし屋」のいがみの権太は重ねた評判の悪さを撤回するため、維盛を救いたい父の手助けを試みるが裏目にでてしまう末路。桜が満開の吉野の山中で静御前が鼓を打つと、忠信狐が現れる場面。ついに登場する本物の忠信が、義経より哀れみで初音の鼓をもらい受け喜ぶ忠信狐から通力をうけ、義経を狙った猛将の教経を追い詰めるところなど。

 ところで、義経と京都の吉野山で別れて京へ向かう途中、頼朝の追手に捕まり鎌倉へ送られた静御前といえば、義経のみならず鎌倉中の人々を魅了した華麗な舞の名手といわれ、鶴岡八幡宮で舞を披露したことは有名だ(頼朝に白拍子として踊ることを命じられるが、義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させたという)その華やかに舞っている姿をジュエリーの中で最大限に表現したのが、歌舞伎俳優 市川九團次プロデュースによる(株)クロスフォーのブランド[花ひらく]シリーズの商品名「涙桜」「桜の舞」だ。