山梨と宝石「歌舞伎の演目『義経千本桜』とジュエリー」20
歌舞伎の演目の一つ『義経千本桜』は、江戸中期1747年11月大阪竹本座で初上演された。源平合戦という史実をもとに、五幕ある場にて主人公が代わりさまざまな人間模様が色濃く繰り広がる。義経が兄源頼朝との争いを好まないことをはじめに登場する者たちの人情深さから、日本人(大和民族)のもつヤップ遺伝子の特色が垣間見られる。さらに、宙吊りなど舞台仕掛けの面白さも楽しめる演目だ。物語は、義経が屋島の源平合戦で大活躍したのにもかかわらず、頼朝の策略で都落ちになリ各地を逃亡する道中、じつは生き延びていた平家武将の(維盛)、知盛、教経らが復讐を誓う展開が中心となる。一方、義経は、京に滞在中に出会った白拍子(男性の服装に刀を身につけ舞いを披露する遊女でもある)の静御前を愛妾にするが落ちゆく旅に連れていかれず、後白河院の御所から戦勝の功として賜った初音の鼓を彼女に与え木に縛りつけ去った後、追手の危機に晒される静を救った家臣の佐藤忠信(その正体は、鼓の皮にされた狐の子供)に「源九郎義経」の名を与え静のお供を命じる。静は恋慕の義経を思い鼓を打ち、それを聴きながら忠信狐は親を乞うなど哀愁を描く。(ちなみに、江戸時代中期の絵師勝川春常の初代坂東三津五郎演じる源九郎狐の浮世絵は、サンディエゴ美術館に所蔵されている)
この演目の見どころは、「渡海屋・大物浦の段」の平知盛が幽霊姿で義経を襲おうとしたあたり。「すし屋」のいがみの権太は重ねた評判の悪さを撤回するため、維盛を救いたい父の手助けを試みるが裏目にでてしまう末路。桜が満開の吉野の山中で静御前が鼓を打つと、忠信狐が現れる場面。ついに登場する本物の忠信が、義経より哀れみで初音の鼓をもらい受け喜ぶ忠信狐から通力をうけ、義経を狙った猛将の教経を追い詰めるところなど。
ところで、義経と京都の吉野山で別れて京へ向かう途中、頼朝の追手に捕まり鎌倉へ送られた静御前といえば、義経のみならず鎌倉中の人々を魅了した華麗な舞の名手といわれ、鶴岡八幡宮で舞を披露したことは有名だ(頼朝に白拍子として踊ることを命じられるが、義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させたという)その華やかに舞っている姿をジュエリーの中で最大限に表現したのが、歌舞伎俳優 市川九團次プロデュースによる(株)クロスフォーのブランド[花ひらく]シリーズの商品名「涙桜」「桜の舞」だ。
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