縁起物と宝石「今年の干支『午(馬)』とジュエリー2」19
今年の干支は丙午だが、日本における馬との歴史は古く古墳時代にさかのぼる。4世紀後半ごろから散発的な馬の伝来があり、5世紀に入るとモンゴルの在来馬が本格的に朝鮮半島から九州を経由して伝わったと考えられている。その馬の伝来や生産に関する記述は『日本書紀』に散見され、応神天皇15年条に、百済王が阿直岐(あちき)を遣わして良馬2頭を献じたという記載があり、馬の伝来を記した初めてのものとなる。そして各地の古墳から馬骨や馬具、飾り馬を模した埴輪なども出土しているが、古墳時代の馬具には大きく分けて2種類ある。一つは金・銀で飾られた「装飾馬具」で、「鏡板(かがみいた)」や「杏葉(ぎょうよう)」と呼ばれる飾り板をもち、前方後円墳など位の高さを示す古墳から多く出土している。当時このような飾り立てた馬に乗ることは権力者の象徴だった。もう一つはおもに鉄や木でつくられ飾り板なども付いてない質素で実用的な馬具で実際に戦いに用いられたとのこと。その後、古墳時代の終わりごろには朝鮮半島からもたらされた馬文化とともに、馬は日本各地で繁殖・飼育されるようになり広がっていった。そして移動や運搬など交通手段としての役割だけでなく、農耕を手助けしてくれたりと生活には欠かせない存在となっていく。戦国時代には戦いで敵地に赴くときの手段、また相棒として人と馬の関係は深まり勝利などの願いを込めてより良い馬具と装飾にこだわったという。さらに、日本において馬は神様の使い、乗り物として、神社に奉納する習慣が奈良時代から始まる。 神が馬に乗って現れるという信仰に基づき、祈願時(特に雨乞い・晴れ乞い)に生きた「神馬(しんめ)」を奉納していた。そして現在でも神事などで引き継がれている。一方、貴重で高価である生きた馬は世話も大変だったため、一般の人々が奉納することはとうてい不可能だった。その代わりに馬の絵を木の板に描いて奉納したのが「絵馬」の始まりとなる。その最古の事例 で奈良時代の『続日本紀』などに記述があり、奈良県の遺跡からは天平時代(8世紀)の木製絵馬が出土している。
さて、現代の私たちは、神社へ行ってその年の干支が描かれた絵馬の裏に個人の願いごとを書き奉納し、縁起担ぎのために干支のストラップやアクセサリーを身に付けたりするのだ。
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