Jewelry sommeliere

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NY州立大学FIT卒業。 米国宝石学会鑑定・鑑別有資格(GIA-GG,AJP)。 CMモデル、イベント通訳コンパニオン、イラストレーターなどを経て、両親の仕事を手伝い十数カ国訪問。現在「美時間」代表。今迄培ってきた運命学、自然医学、アロマテラピー、食文化、宝石学などの知識を生かし、健康で楽しく感動的な人生を描くプランナー、キュレーター、エッセイスト、ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere)

2018年10月9日火曜日

週刊NY生活No.694 9/15/18'宝石伝説8トプカピのエメラルドの短剣

                      トプカピのエメラルドの短剣

  世界で最も価値のあるエメラルドが4つ嵌められている短剣がある。それは18世紀の半ば、オスマン帝国(イスタンブール)の皇帝マフムード1世がお抱え職人につくらせたものだ。この短剣は、その頃オスマン帝国とのあいだで激しい戦争をくり広げていた、ペルシャのナポレオンともいわれる支配者のナーディル・シャー(その地域で最強軍隊の司令官)を懐柔するための贈り物にする予定だった。宝石に目のないシャーはインド遠征の際にコ・イ・ヌール(光の山)・ダイヤモンドを含む数多くの宝石を略奪したことが知られていたから、この選択は賢明だった。だがそれから間もなくして両国は和平を結んだので、それの授受が施されることになるが、マフムードの用意した贈呈品のなかにこの豪華な短剣も含まれていた。
  イスラム世界でもエメラルドはとても高評価で珍重されており、短剣の上部と下部にセットされた大きな石はペアシェイプ、中央の石は長方形のクッションカットで、柄の頂点につけられた八角形の石は持ち上げると時計が現れる仕組みになっている。これらのエメラルドは、特に希少性の高いコロンビアのムゾー鉱山で産出されたもの(石の中に特徴となる液体・気体・個体など3層構造が見られる)といわれる。柄と鞘はダイヤモンドをセットしたゴールドからなり、さらにエメラルドと真珠が施されている。この豪奢で唯一無二の宝飾品を贈るという決断から、マフムードの真の愛と平和を願ったことが感じられるが、奇しくもこれらはエメラルドが持つ象徴である。

  ところが、何とシャーは短剣を目にすることはなかった。これが届く前、就寝中に暗殺されてしまったからだ。その知らせを受けた運搬人の一隊は自国に戻り、この貴重な短剣はトプカピ宮殿に置かれることになった。現在もそこに展示され、気品と威厳を誇っている。

2018年9月1日土曜日

週刊NY生活No.519 1/1/2015「人生の放課後と葬送文化」

                                                                                                                                                                                 
                            人生の放課後と葬送文化

  
  日本では「団塊世代」(1947~49年生まれ)が戦後の高度経済成長を担い、49年生まれが65歳となり4人に一人が高齢者となった現在、彼らが再び経済活性化の中心を担うとされている。内閣府の「団塊世代」の意識調査によると、今の生活にある程度満足している人は67%で、生きがいを感じるのは趣味に熱中している時が一番多くて47,7%、次いで家族団らん、旅行と続く。貯蓄の目的は普通の生活を維持するための42,3%から将来の病気や介護が必要になった時、つまり万が一に備えるための53,9%に増えた。要介護になった場合に希望生活場所は自宅が38,2%、次いで介護老人福祉施設・介護老人保健施設・民間の有料老人ホーム30,2%と続く。だが、子供の家を望むのは0,6%と極めて少ない。というのも、「団塊ジュニア」と呼ばれる第二次ベビーブームに当たる1970年代前半生まれと、団塊世代の子供世代に当たる1970年後半に生まれた彼らは、就職する前後がバブル崩壊時期に直面しておりいわゆる「就職氷河期」に遭遇した「不運の世代」だからである。また結婚しても共働きが多く、親の介護をするほどの余裕がないのだ。
 
 一方、近年では「団塊の世代」をターゲットとしたビジネス、すなわち「シニア向け分譲マンション」「高齢者専用賃貸住宅」「住宅型有料老人ホーム」「療養病床(介護療養型医療施設)」などが盛んになった。どれを選択するかは年金や貯蓄の額によって変わってくる。
 時代の流れとともに家族形態も大きく変わった。国立社会保障・人口問題研究所が2014年4月に発表した「日本の世帯数の将来推計」によると、最も多いのが家族1人(お一人さま)の単独世帯となっており、全世帯の32,4%を占める。少子高齢化、晩婚化、非婚化などが原因である。それに関連して日本の葬送文化も大きく変化した。自宅またはお寺で執り行う葬儀から大型葬儀場に移り変わり、やがて現在のような家族葬が主流となった。「お一人さま」を支援するNPO法人もでてきた。最近は自由葬や自然葬(散骨葬、樹木葬、宇宙葬など)も話題だ。
 
 お墓に関しても、寺院墓地から公園墓地、埋葬スタイルの多様化から個性的な墓石・室内墓地・永代供養墓・ペットと一緒に入る墓などが登場した。仏間に置く伝統型仏壇が欧米化した居住空間に家具調仏壇として置かれる。また、お墓を持たない人や墓参りがままならない海外を含む遠方居住者のために、新しい共養トレンドとして宗派や慣習に縛られない形の遺灰や遺骨の破片を入れるミニ骨壷や、身につけるタイプのジュエリー(遺灰を耳かき程度納める・遺灰でダイヤモンドや樹脂を作る)など、日常的に故人を偲び、手を合わせ語りかけられる手元供養が人気を呼んでいる。一般的に故人に対して「生前」という言葉を使うが、ここに日本人の思いやりの籠った死生観が伺える。地球の1部からなる肉体を感謝を込めてお返しすると同時に、供養という絆を通した愛情により浄化される魂はまた生まれ変わると。


週刊NY生活No.690 8/18/18' 宝石伝説7コ・イ・ヌールダイヤモンド

                         コ・イ・ヌール ダイヤモンド

  「コ・イ・ヌールを持つ者は世界を制し、同時に厄災にも見舞われるが、神と女性のみがその災難から逃れて身に付けることができる」と伝承される、南インドで採掘された最古のダイヤモンドがある。インドの古代叙事詩(マハー・バーラタ)のなかで、この石は五千年以上前から存在しているという伝説がある一方、史実としてはじめて言及されたのは、1526年インドのムガール帝国 初代皇帝バーブルの回想記による。      
   186ctもある巨大なダイヤモンドは、輝きが不十分(当時のお粗末なカット)にもかかわらず、何世紀にも渡り戦争の略奪品(呪われた石)となり、ペルシャ、アフガニスタン、パキスタン、インドなどで帝国を支配するごとに皇帝の象徴として君臨した。
  1739年、ペルシャのナディル王はインドのデリーに侵入し、ムガール王のターバンの中に隠されたこのダイヤモンドを手に入れた。その驚きと喜びのあまり「コ・イ・ヌール(光の山よ)!」とペルシャ語で叫んだことが、石の名前の由来になったという。
  1850年、コ・イ・ヌールは、若干5歳でシク王国(インドのパンジャーブ地方)最後の王位に就いた ドゥリーブ・シンの手元にあった。この石を所有していたそれ以前のマハラジャたちが相次いで暗殺されたからだ。それからまもなく、パンジャーブが大英帝国の支配下に落ちると、シンはこの石をビクトリア女王に献上する。

  1852年、ビクトリア女王の夫君アルバート公は、インド式にカットされた鈍い輝きのダイヤモンドを再度研磨させ、石の大きさは105.6ctと大幅に減ったが、キズも削りとられオーバル ブリリアントカットの美しい宝石に蘇った。そして4つの異なる王冠に嵌められ、アレクサンドラ、メアリー、エリザベスら、歴代の英国王妃たちの頭を飾ることになった。ちなみに、1900年代に入ると、独立したインドやパキスタンが相次いでコ・イ・ヌールの返還を主張しはじめ、2015年にはインドの投資家のグループが返還を求める法的手続きを開始したという。

週刊NY生活No.686 7/21/18' 宝石伝説6黒皇太子のルビー(スピネル)

                      黒皇太子のルビー(スピネル尖晶石’)

  19世紀までルビーだと思われていた巨大な赤い宝石がある。それは、大英帝国の王冠の正面下部に嵌め込まれたアフリカのレッサースターと呼ばれる、有名なダイヤモンドカリナンII‘ (317.4ct)の直ぐ上にセットされた、最上部に小さな天然ルビーをあしらったレッドスピネル(170ct)だ。
  14世紀、全身に黒い甲冑を身にまとい、フランス軍からノワール()の騎士と恐れられたイングランド(イギリス)の黒皇太子(Edward, the Black Prince 1330~1376)は、英仏の間で勃発した百年戦争前期に活躍して数多くの勝利をもたらした伝説をもつ。彼は戦闘のさなかスペインのカスティーリャ王ペドロ1世を支援し、そのお礼にこの宝石(ペドロ1世が、グラナダ王国のムハンマド太子から戦利品として略奪した)を譲り受けた。皇太子の死後、この宝石は後に続く騎士の肌身や兜に付けられ、度重なる戦禍をくぐり抜けて19世紀に大英帝国の第一王冠にセットされ、現在もイギリス王室の守護石となっている。
  古代、並外れた大きさのスピネルの結晶は中央・東南アジアの鉱山で産出され、 “Balas rubies(バラスルビー)”として知られていた。 ICA(国際色石協会)の報告によると、16世紀初頭すでにルビーとスピネルは異なった鉱物であると認識されていたが、一見して鮮明な赤色である双方の宝石は、数百年のあいだ区別されないまま時を経過した。

  スピネルは、ダイヤモンドと同じ八面体の結晶として産出されることがあり、これが小さなトゲを思わせることからラテン語でトゲを意味するスピナ(spina)が転じてスピネルと呼ばれるようになった。ルビーとの明白な違いは、光がルビーに入ると光線が分割し(複屈折性)、オレンジや紫がかった赤色の多色性になるが、それに対してスピネルはすべての方向から見ても同じ色のまま(単屈折性)であることだ。

2018年7月9日月曜日

週刊NY生活No.682 6/16/18' 宝石伝説5マリー・アントワネットのダイヤモンドイヤリング

      マリー・アントワネットのダイヤモンド・イヤリング

  フランス革命が起こる前「アンシャン=レジーム」と呼ばれる、ブルボン王朝期の絶対王政下による社会・政治体制があった。聖職者・貴族の豪奢な生活と、戦争などの軍事費の増大による厳しい経済状況下、歴史的な小麦の不作も起こり、そのしわ寄せはすべて平民に押し付けられた。そのさなかベルサイユ宮殿内では豪華絢爛な生活が頂点を極めていく(現在、博物館などで鑑賞できる世界的にも貴重な宝飾品や美術品の背景には、皮肉にもそうした贅沢極まる文化が必ず存在する)。その渦中、フランス王ルイ16世に嫁いだオーストリアの女帝マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットは、現在に至るもファッションに影響を与えているが、当時は「赤字夫人」とあだ名を付けられるほど服飾や宝石をこよなく愛した。
  現存する宝飾品で最も有名なのは、1774年、王位についた夫のルイ16世から贈られた、宮廷お抱えの宝石細工師ボーメールとバッセンジらの手によるペアシェイプのドロップイヤリングだ。片方は20.34ct、もう一方は14,25ctと大ぶりで華美なダイヤモンドは彼女のお気に入りとされたが、身長が154cm(推定)と小柄な彼女には大きすぎたのではと思う。それから約20年後、まるでベルサイユという華麗な舞台で人形劇の主役を演じてきたようなマリー・アントワネットは、ギロチンの露と消え悲劇のヒロインになる。
  彼女の没後60年、このイヤリングはナポレオン3世から皇后ウジェニーへ贈られ、その後ロシアの公爵夫人に渡り、1928年ピエール・カルティエが購入してマージョリー・メリウエザー・ポスト夫人に売却した。そして1964年、彼女の娘によってアメリカワシントンDCのスミソニアン博物館に寄贈される。

  ちなみに、歴史的にも有名な宝石を数多く所有し、スミソニアンに相次ぎ寄贈したポスト夫人は、フロリダ州パームビーチにある現大統領のD・トランプ氏の所有する別荘「マー・ア・ラゴ」(アメリカ合衆国国定歴史建造物)を建設した人物でもある。

2018年5月18日金曜日

週刊NY生活No.678 5/19/18' 宝石伝説4マリー=ルイーズのリメイク’ティアラ’

                マリー=ルイーズのリメイク‘ティアラ’

     宝石史上、劇的にリメイクを施されてしまった有名なテイアラがある。それは1810年ナポレオン1世が結婚を記念して2番目の妻マリー=ルイーズに贈ったもので、パリのエティエンヌ・ニト・エ・フィス(後の宝石商ショーメ)のフランソワ=ルニョ・ニトによって制作された。当初テイアラは、1000個を上回るダイヤモンドの取り巻きに、総重量700ctにもなる79個の深緑色のコロンビア産エメラルド(中央に12ctをはじめとする21個の大きな石と57個の小さな石)があしらわれていた。なお、これはパリュール ‘parure’ (さまざまのアイテムが揃ったジュエリーのセット)の一部で、その他にネックレス、櫛、ベルトのバックル、イヤリングが含まれていた。

  マリー=ルイーズの亡きのち、テイアラは叔母のエリーゼ大公妃に遺された。その後、1950年代に宝石商のヴァン クリフ&アーペルがエリーゼの子孫からこれを入手し、エメラルドだけを取り外しオークションで売却してしまったのだ。そのときのキャッチフレーズは、「歴史的なナポレオンのテイアラのエメラルドをあなたに・・・」。そして、エメラルドの代わりに79個(540ct)のカボションカットされたペルシャ産(最も高品質で均一なスカイブルーの色合い)の繁栄を意味するトルコ石をセットした。テイアラの変貌に驚愕する人がいる一方、魅力を感じる人もいた。その一人アメリカの上流階級の夫人マージョリー・メリウエザー・ポストは、1971年このリメイクされたテイアラを購入し、群を抜く豪華な自分のコレクションの一つに加える。数回身につけた後(奇しくもナポレオンが1811年の息子の誕生日を祝い、妻のマリー=ルイーズに贈った263ctのダイヤモンドネックレスをハリー・ウインストンから購入したのも彼女だ)、このネックレスに続きアメリカ・ワシントンD.C.のスミソニアン博物館に寄贈した。再会を果たした二つのレガシーは隣同士に並び美しさを競いあっている。

週刊 NY生活No.674 4/21/18' 宝石伝説3ナポレオンのダイヤモンドネックレス

              ナポレオンのダイヤモンドネックレス


   フランス革命期に天才的な戦略と戦術によりヨーロッパ大陸の大半を支配下に治めた軍人・政治家のナポレオン・ボナパルトは、宝石を愛して数多く所有し自らも身につけた。なかでも地球上で最も硬い物質「征服されざる」という意味を持つギリシャ語アダマス(Adamas)から変化した呼び名のダイヤモンドは、自分自身を象徴する宝石と考えたのか特別な思いを抱いていた。  ナポレオンは後継者を産めなかったジョセフィーヌ皇后と離婚し、オーストリア皇女マリー=ルイーズと再婚後、1年を待たずして息子のナポレオン・フランソワ=ジョセフ・シャルルを授る。すると即座に彼はパリの宝石商ニト・エ・フィスに、皇后が1年間に使える皇室の予算に匹敵する高価なダイヤモンドのネックレス(376274フラン)を彼女のために特注した。
  このネックレスは、234個すべてがダイヤモンド(総重量263ct)による。その大きな石47個は、一連の鎖に28個のマインカット(ブリリアントカットの初期スタイル)によりセットされ、9個のペアシェイプ(その内4個に23個の小さな石をあしらった)10個のブリオレットカット(滴形のカット)の石が、そこから吊り下げられたとてもゴージャスなネックレスだ。
    ダイヤモンドは炭素原子の結晶で、全体の98%は窒素(黄色みを帯びる色因)など炭素以外の不純物を含むタイプI’ と、窒素をまったく含まないタイプII’ に分かれる。なかでもタイプIIaは、不純物を一切含まない純粋な無色になり、全体の2%にも満たず希少性が極めて高い。ちなみに、このネックレスのうち13個の石はタイプII aだ。

  マリー=ルイーズはこのネックレスがとても気に入り、身につけている様子が何点もの肖像画に見られる。後に失脚したナポレオンを見捨てる(再婚を繰り返す)一方、自身が亡くなるまで手放さなかったというこのネックレスは、現在アメリカ・ワシントンDCのスミソニアン博物館で輝きを放っている。

2018年4月12日木曜日

週刊NY生活No670 3/17/18' 宝石伝説2ドム・ペドロ

                                     ドム・ペドロ

  “ It was love at first sight ! ” B.ムーンシュタイナー(「ファンタジーカットの父」と知られる先祖代々宝石研磨職人)は、まるでキラキラ光るわずかに緑がかった透明な青い海の一部をそのまま一瞬にして凍結したような、類まれな大きさのアクアマリンの結晶を目の前にしてこう驚嘆した。
  この結晶は、1980年代にブラジルのミナス・ジェライス鉱山地域で発見されたが、採掘者が誤って地面に落とし3つに割れたうちの1つ(長さ60cm重さ27kg)である。そのかつてない大きさ、宝石品質、色合いに感銘を受けたドイツの宝石商ユルゲン・ヘンは共同事業体を作って、ドイツのイーダー・オーバシュタインの至宝ムーンシュタイナーのところに結晶を持ち込んだ。ちなみにここは昔からメノウの産地で、17~18世紀に貴族の間で流行したメノウ彫刻が盛んに行われ、その技術は今でも門外不出と言われる。19世紀に入り、ドイツ人の几帳面で正確無比の素晴らしいカットの腕前が功を奏し、世界でも有数の宝石研磨の街に押し上げた。
  結晶に心を奪われたムーンシュタイナーは、結晶自体の勉強に4カ月ほど掛け、さらにこの結晶のファセットパターンを何度も描きなおし、カッティングから最終仕上げのポリッシングに至るまで半年を費やした。そして遂に高さ約35cm、底の幅約10cm10.363ctの古代エジプトの太陽神を象徴する石柱「オベリスク」のような宝石の彫像を完成させ、この結晶が産出されたブラジルを19世紀に支配した2人の皇帝にちなんでドム・ペドロと命名した。
  現在、アメリカワシントンD.Cのスミソニアン国立自然史博物館に展示されているドム・ペドロを正面から見ると、宝石全体に光が反射して屈折する様子が内部から光るように見える。まるで澄み渡る青い海原が、幾何学的に処理された太陽や月の光反射を受けて輝いているようだ。これこそムーンシュタイナーがアクアマリンの結晶に、人生を捧げたオマージュの結晶だ。


週刊NY生活No666 2/17/18' 宝石伝説1ホープ・ダイヤモンド

                            ホープ・ダイヤモンド

   数年前、世界最大で名高いブルー(ホープ)・ダイヤモンド(1958年NYの宝石商のハリー・ウインストンが寄贈)を目指してアメリカ ワシントンD.C.にあるスミソニアン国立自然史博物館を訪れた。見事なカットが施されたダイヤが連なるネックレスに、同カットのダイヤで囲まれたペンダントヘッドが、四角いガラスのケースに鎮座して数秒ごとに東西南北を移動する。そのたびに放たれる目の眩むような脇石(ダイヤ)の煌めきと、主役のブルー・ダイヤモンド(無傷)の見事な大きさ(45.52ct)には圧倒されたが、残念ながら色合いはグレイがかった暗いブルーで、期待していた鮮明な濃いブルーではなかった。
  諸説あるが、この宝石(約112.50ct)は、9世紀頃インド南部で農夫により発見されたその時から所有者の血を流してきた。17世紀に入り、ヒンドゥー教寺院に祀られた神像の眼に嵌められたこの宝石が盗まれ、僧侶は所有者に呪いをかけたという。フランス人タベルニエが国に持ち帰り、その後リカットされて(67.12ct)ベルサイユ宮殿の王家の人々を虜にした。その1人、王妃マリー・アントワネットが断頭台の露へと消えたことは有名だ。宝石はヨーロッパを駆け巡り、ホープ・ダイヤモンドの名前の由来になったイギリスの実業家ホープが所有したものの、相次ぐ災難に見舞われた。その後、アメリカに辿り着いた宝石ホープ=『呪いの宝石』の現在進行形に終止符を打ったのがウィンストンだ。
  本来、美しい青色で妖艶な輝きを放つ大きな宝石は、所有する者を翻弄して剥き出しになったその強欲の汚れた魂を吸収する毎に明彩度が落ちていったのではないかと思われる。

  通常ダイヤモンドの約3分の1は紫外線を当てると様々な蛍光色が現れる。その光源を断っても残存するのが燐光(赤か青)で、この宝石のように1分以上に亘って発するのは珍しく、現在に至ってもその原理は解明されていないという。実際にその写真を見たが、まさに血の赤色だった。

2018年2月7日水曜日

週刊NY生活No662 1/20/18' 宝瓶宮(みずがめ座)とジルコン(風信子「ヒヤシンス」石

      宝瓶宮(みずがめ座)とジルコン(風信子‘ヒヤシンス’)石

  数万~数億年前の岩石や化石の(放射)年代測定に用いられる、地球上で最も古く重要な鉱物ジルコンは、おもにマグマが冷えて固まった火成岩の中から結晶として広域で産出される。ジルコンの語源は諸説あるが、和名になっている‘ヒヤシンス’(石)とは、古代ギリシャの赤褐色系のジルコンの呼び名。ギリシャ神話に登場する美少年ヒュアキントス(Hyakinthos)が怪我をして亡くなった際に、その血で染まった草から花が咲いたことから名付けられたという。
  宝石品質の無色透明のジルコンはダイヤモンドに匹敵する高い屈折率をもち、ブリリアント・カットを施すと金剛光沢の輝きと、ファイアと呼ばれる7色の煌めきを放つ。それ故に合成キュービックジルコニア石(硬度は8~8.5でダイヤモンドと同程度の高い屈折率)が普及するまでは、ダイヤモンドの代用品(マチュラダイヤモンド‘Matura diamond‘ )として注目された。ダイヤモンドと違う点は、ジルコンの下に置いた文字が二重に見えたり、石の中を覗くとファセット加工の線がダブって見えること(ダイヤモンドにはないダブリング現象)。また硬度も7.5と低い。ジルコンの色相の幅は広く、そのなかでも人気のある綺麗な青色は殆どが加熱による。

  宝瓶宮は自由で革新的なうえ、人々との繋がりやネットワークを築き上げるので(土星の支配による)、信条が異なる多様な社会を築いて維持する上で大きな働きをする。一方、基本的に自分の流れのなかの感覚を重要視するあまり頑迷固陋に陥りやすく、周りとの協調性に欠け衝突したり誤解を招くことも多い。ヒヤシンス石(ジルコン)は目標に向い突き進むとき保持すると、その過程で生じる様々な現象を吸収しながら無限の可能性を見いだして別次元へと成長させてくれる宝瓶宮には特にオススメだ。

2018年1月29日月曜日

週刊NY生活No659 12/16/17' 磨羯宮(やぎ座)とラピスラズリ(瑠璃・青金石)

           磨羯宮(やぎ座)とラピスラズリ(瑠璃・青金石)

  エジプト古王国時代の墳墓から現地では産出されないラピスラズリの装飾品、工芸品が数多く発見された。ツタンカーメン王が嵌めていたブレスレットは、数種類の脇石に中心は太陽と再生のシンボルである大きなスカラベをラピスラズリで象ったもので、護符として使われた起源とされる。シルクロードを通じて東方に伝わったラピスラズリは、仏教世界の中心にそびえ立つ須弥山で産出される宝石(七宝)の一つ「瑠璃」のこと。その紫がかった深みのある鮮やかな青色=瑠璃色は至上の色(現在でも良質な石の基準でカルサイト成分の白色混入がないもの。例外はパイライトの金色がバランス良く入っている石で、古代ローマ博物学者プリニウスが「星の煌めく天空の破片」と賞賛した)として神聖視された。
  古代から現代に至るまで最良質のラピスラズリの一大産地はアフガニスタンのバタフシャン鉱山。主に4つの鉱物から構成される岩石のため硬度は5-6と低く、ネックレスやブレスレットに愛用される。一方、昔からラピスラズリは高価な顔料・岩絵具の原材料として有名だが、画家フェルメールはこの青色に魅了されこの絵の具を「青いターバンの少女」をはじめ代表作にふんだんに使用した。今世紀の著名な預言者エドガーケーシーは「ラピスは不思議なパワーを放射して持つ人に創造力と霊能力、凶を吉に変える幸運をもたらす」と述べているが、人の中にすでに存在しているそれらの力を引き出してくれるのだ。

  土星に支配され知性の象徴とも言われる磨羯宮は、己の力で渡り歩く山上の険しい崖からの視座で千里を見通す力がそなわる反面、周りが見え過ぎて冷めた感性になる。そして孤軍奮闘に陥りやすく、人との繋がりや協調性を欠く。また野心が強く物事を一面的に捉えがちな磨羯宮にラピスラズリは意識を変革してくれる強力な守護石となる。

週刊NY生活No655 11/18/17' 人馬宮(いて座)とタンザナイト(ゆう簾石)

    人馬宮(いて座)とタンザナイト(ゆう簾石)

  アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロは、タンザニアの東部に位置し赤道直下にありながら頂きに雪帽子をかぶり君臨する。その南嶺にあるのがさまざまな宝石が眠るメレラニ鉱山で、1960年代にブルー系のゾイサイト鉱物の原石が発見された世界で唯一の産地である。その原石を加熱すると、まるでタンザニアの夕暮れ時の空を連想させる透明で美しいパープリッシュブルーに変化した。それに因んでアメリカのティファニー社はこの宝石を正式名のブルーゾイサイトとは呼ばずタンザナイトと命名し、積極的なプロモーションを行い、今日ではその名前が定着し世界標準表記になっている。デビューを遂げた新しい宝石は一見ブルーサファイヤの色合いと似ているが、最大の特徴は多色性で角度によって異なった色(青、藍色、赤茶色など)が見える。また、自然光や蛍光灯の下では青色に輝き、夜のライトや白熱灯の下では高貴な紫色に変化する。一方、硬度は6~7と多少低く欠けやすいので身につける場合はリング以外が望ましい。現在流通しているタンザナイトは99、9%が加熱処理されている。価値が高いのはより透明感のある色目の濃い石だ。
 行動理念が解放と自由で豪放磊落な人馬宮は、チャレンジ精神や好奇心も旺盛で興味を持つと努力も惜しまず、守護星である木星の絶大なエネルギーが注ぎ込まれ飛躍的に成功する。ところが、自分の好きなこと以外は集中力が切れやすく途中で投げ出してしまい、周囲との同調性を欠くことが多い。タンザナイトはその色合いから、自己啓発を促し冷静さや直感力、柔軟性を高めてくれる。したがって身に付けていると、人生において大事な局面に立たされたとき、思慮深い正しい判断をもたらし好い方向に導いてくれるという人馬宮にとってはありがたい宝石になる。

 

2018年1月24日水曜日

週刊NY生活No651 10/21/17' 天蠍宮(さそり座)とロードクロサイト(菱マンガン鉱)

 天蠍宮(さそり座)とロードクロサイト(菱マンガン鉱)

 光沢のある透明~半透明で、なかには鮮やかなベーコンの塊のような縞模様の入った赤~ピンク色の宝石ロードクロサイト。硬度が3,5~4.5と軟らかく劈開も強いのでジュエリーとして扱うには注意がいる。しかしながら、やわらかで愛らしい色合いは優しい感情を喚起し、人生をバラ色にしてくれるという言い伝えがあり昔からファンが多い。また、内分泌系の働きを助けホルモンバランスを整えてくれるので、エネルギーは活性化され老化防止やうつ病を改善するといわれる。ロードクロサイトの語源は、ギリシャ語でバラ色を意味する’rhodokhros’に由来し、俗称はインカローズと呼ばれる。
 北海道積丹半島の稲倉石鉱山でマンガン鉱石の副産物として産出された、少し赤みがかった色合いのロードクロサイトは、日本の数少ない宝石の1つで積丹ルビーと呼ばれ注目を浴びたが、昭和59年の鉱山の閉山とともに産出が終了した。さらに、透明度や色調から世界でもっとも美しく最大の結晶を産出した、アメリカのコロラド州にあるスイートホーム鉱山も近年閉山し、双方の希少性は高まるばかりだ。現在は良質な石の産地としてアルゼンチンのアンデス山脈が有名。

 火星に支配される天蠍宮は一見穏やかだが秘密主義で、心の奥底はマグマが燃えたぎり、いつも己自身との戦い(葛藤)に挑んでいる。社交的に欠け複数の物事を同時にこなすのは苦手だが、狭い生き方や人間関係なのでそのぶん集中力にすぐれ深く極めていく。また頑なでプライドが高く自分の意に反した裏切りに対し寛容になれず根に持ち続ける。ロードクロサイトは、暗くなりがちな心の裏側に穏やかな光を注ぎ自らを客観視させ、寛仁大度な人に導いてくれる天蠍宮に最適な守護石になる。