Jewelry sommeliere

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NY州立大学FIT卒業。 米国宝石学会鑑定・鑑別有資格(GIA-GG,AJP)。 CMモデル、イベント通訳コンパニオン、イラストレーターなどを経て、両親の仕事を手伝い十数カ国訪問。現在「美時間」代表。今迄培ってきた運命学、自然医学、アロマテラピー、食文化、宝石学などの知識を生かし、健康で楽しく感動的な人生を描くプランナー、キュレーター、エッセイスト、ジュエリーソムリエール(Jewelry sommeliere)

2019年6月7日金曜日

週刊NY生活No.717 3/16/19'宝石伝説 14「バローダの月」下

        「バローダの月」下

  1914年に第一次世界大戦が勃発すると、イギリス領だったインドも参戦を余儀なくされ経済的にも疲弊した。その影響はマハラジャにも及び、当時バローダの月を所有していたサヤジラオ・ガエクワド3世は、財政を立て直すべく多くの宝飾品とともにバローダの月も放出した。その後は長きにわたり行方不明になってしまう。
  バローダの月が再び表舞台に姿を現したのは、それから約40年後の1953年アメリカのハリウッドにおいてであった。所有者はデトロイトの宝石商メイヤー・ローゼンハイム。彼は自社の宣伝のために、ハリウッド女優にこのダイヤを身に付けさせることを思いつき、当時新進女優として注目を集めていたマリリン・モンローに白羽の矢を立てた。1926年にアメリカのロサンゼルスで生まれた彼女は20世紀を代表する大女優。真っ赤な口紅を塗った唇、目元のホクロ、モンロー・ウオークといわれた独特の歩き方がセクシーで、「アメリカの恋人」、「20世紀のセックスシンボル」などと謳われた。これを受けて制作されたのが1953年公開の「紳士は金髪がお好き」でモンローの代表作の一つであるミュージカル映画だ。バローダの月を身につけながら、彼女は「ダイヤモンドは女の子の1番の友達」と歌う。当時ダイヤモンドは裕福な人々が所有するもので、現在のような婚約指輪の定番である身近な宝石ではなかった。その頃まだ庶民的な女優であった彼女がバローダの月を身につけることにより、手の届かなかったダイヤモンドが庶民の憧れとなり、ダイヤモンド業界が活性化したともいわれている。作品の大ヒットがきっかけとなり、彼女は大女優の道を歩む。また、映画のプロモーションの際に、モンローがこのダイヤを身につけた妖艶な姿が新聞や雑誌でたびたび取り上げられ、世界で最も有名な宝石となった。

  2012年テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」に、バローダの月の所有者である日本人の男性が出演した。その鑑定額は1億5000万円だったが、現在この宝石は再び消息不明となっている。

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