カルティエ「世界初のプラチナ・ジュエリー」1
「Jeweller of kings, king of jewellers 」(王の宝石商、宝石商の王」と、英国王エドワード7世より称えられたカルティエ(Cartier SA)は、フランスを代表する高級宝飾の名門ブランド。1847年、創業者で宝石細工師のルイ=フランソワ・カルティエは師のアドルフ・ピカールからジュエリー工房を受け継いだあと現在のパリ2区内で何度か移転する。最初はパレ・ロワイヤルにほど近いヌーヴ・デ・プティ・シャン通り5番地に個人顧客を対象にジュエリー・ブティックを構える。この場所は社交界が度々行われていた国王の家系にあたるオルレイン公の館からほど近く、カルティエのジュエリーは上流貴族を中心に広まっていく。
1859年、ナポレオン3世によるパリ大改革が行われ、ベル・エポックの時代に入り街も人々も美しく華やかに生まれ変わる。装飾様式では花や植物などに有機的なモチーフや過剰な曲線の組み合わせを楽しむ「アール・ヌーボー」が全盛を迎えていた。そしてイタリアン大通り9番地に移転したカルティエのブティックはパリのアイコニック的存在となる。顧客のウジェニーフランス皇后がジュエリーのオーダーをしたことをきっかけに、カルティエは王室御用達となり、その名をヨーロッパ全土へ広げていった。
1872年、カルティエは息子のアルフレッド・カルティエを共同経営者にする。1898年、孫にあたるルイ・カルティエを共同経営者に据え、社名を「アルフレッド・カルティエ&フィス」に変更。そしてヴァンドーム広場北側のラ・ぺ通り13番地に移転。
1900年、長年の研究により世界で初めてのガーランド・スタイル(ルイ・16世時代の主に建築に用いられていた、葉や透かし細工などに観られる装飾美術)の「プラチナ・ジュエリー」がルイ・カルティエにより制作された。精錬も加工も金よりはるかに高度な熟練を要するプラチナだが、高温の中でも酸化せず常に輝きを保ち、紙のように薄く糸のように細く延ばせる特性は、繊細で軽やかな、宝石だけを連ねたような華麗なジュエリーの製作を可能にした。特にダイヤモンドの輝きを最大限に引き出したことは大きな功績だ。プラチナの加工技術は約30年間カルティエの独断場で、英国王エドワード7世の戴冠式に装身具の下命を賜る栄誉に浴したのだ。この宝石業界におけるエポックメーキングは現在に至るも不朽の輝きを放つ。
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