山梨と宝石「宝石庭園 信玄の里」1
室町後期の戦国時代、甲斐源氏の武田信玄は、織田信長さえもうかつに手だしができない戦国最強の武将で「甲斐の虎」と呼ばれその名を轟かせた。多くの戦国武将たちは、武田軍の「風林火山」と書かれた四文字の軍旗を見ただけで震え上がった。信玄は戦いの際には常に水晶の「大念珠」を戦勝祈願のお守りとして身に付けていた。甲府市の天目山栖雲寺(てんもくさんせいうんじ)には、信玄が奉納した軍配が伝わっており、その中央にも丸い水晶がはめこまれている。古くから水晶にはあらゆるパワーがあるとされ、お守りとして用いられていた。山梨県の水晶の歴史は古く、甲府市の黒平遺跡群では約2万年前の旧石器時代に水晶の石器が使用されていたことが判明し、塩山市の乙木田遺跡では、縄文時代の水晶を加工した作業場の跡が発見されている。
同県、笛吹市石和に日本で唯一の「宝石庭園 信玄の里」がある。威風堂々とした信玄像に迎えられ、洞窟を抜けると目の前に桃源郷のような約1000坪に及ぶ和と洋がおりなす優美な日本庭園が広がる。庭一面に敷きつめられたアメジスト、ローズクオーツ、タイガーアイなどの宝石(半貴石)は光り輝き、いまなお息づく庭園内の大木化石は、春は桜の花が咲き乱れ、夏は木の葉が青々とみなぎり、秋は紅葉が色づき、冬は白銀の世界などの四季折々の風情とみごとに調和している。また滝が豊かに流れ落ちる池には、まるで悠久の時を超えて泳ぐ宝石のような、なかには体長が最大1m強にもおよぶ艶やかな色合いの錦鯉が群れをなしている。
ところで、宝石の世界的な定義とは、希少性が高くて美しい外観を持ち、モース硬度(宝石の美観をたやすく失う原因となる経年劣化(風化)を招く砂ぼこりの中に多く含まれる石英の硬さ(7)を基準値として)が7よりも高い天然鉱物のことで、貴石とも呼ばれる(それ以外は半貴石)。かたや、硬度が7以下のヒスイやオパールも貴石と呼ばれることがあるのは、定義のなかで外観の美しさが最も大切(身に付ける際の耐久性・摩耗性があること)な要素となるからだ。それに対して、宝石庭園を構成する水晶など硬度は7あり美しいが、豊富に採れるので半貴石の宝石となる。
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