ミキモトとアコヤ(養殖真珠)上
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コロンブスのアメリカ新大陸発見も、膨大な富と権力の象徴である真珠を欧州の君主たちにもたらし、やがて真珠貝採取漁業は急速に発展しいく。その一方で、乱獲や長時間の潜水により無数の人々が聴覚や感覚を失い、無尽蔵だと思われていた真珠貝は次第に減少する。すると真珠に対する欲求は高まっていった。
1893年、御木本幸吉は世界で初めて半円真珠の養殖に成功した。それが元となり1900年代初頭、御木本(ミキモト)、見瀬、西川、上田、藤田らと真円真珠形成法を確立した。商業生産が本格化するとミキモトは英仏など海外に支店を出し、天然真珠がちょうどバブル時代を迎えて価格が高騰するなか価格を下げて販売を始めた。ところが、1921年ロンドンの夕刊紙『スター』が養殖による真珠を「ニセ真珠事件」としてとりあげ大騒動となるが図らずも英仏の真珠シンジゲートは天然と養殖の違いを見分ける術がなく、養殖真珠がいかに素晴らしいかを知らしめる結果となった。その騒動はフランスにも飛び火して、パリの真珠市場は一時閉鎖する。当時、高価な天然真珠のネックレスは支配階級やブルジョワだけが身に付けられる特権で、天然ものに引けを取らない養殖真珠が出回り価格が暴落するのを恐れたのだ。
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