ミキモトとアコヤ(養殖真珠)上
今日市場に出回る天然真珠は過去数百年にほぼ収集されたもので、大半は養殖真珠だ。数種類あるその中で、万国共通のアコヤ「Akoya」と呼ばれる養殖真珠は日本が世界に誇る宝石だが、元来天然ものは日本の固有種ではない。北緯10~30度に分布する東南アジア周辺の海域、アラビア、南インド、南米ベネズエラなどの陸地に入り込んだ湾に生息し、古代文明の各王国を虜にするほど最高な宝石だった。日本には遡ること約1万4000年前、黒潮の流れに乗り九州沿岸と三重の英盧湾など九州以北に到達した。『魏志倭人伝』によると、卑弥呼の後を継いだ壱与が中国に使節を送り献上した白珠500孔は、鹿児島湾に生息するアコヤ真珠といわれる。天然真珠の世界では、丸く美しい真珠が誕生するのは1万個に1、2個とされる(諸説あり)。それらを5百個集めるには相当数が必要で、繰り返し海に潜る漁労活動を営む集団とそれを支配する集中的な権力がその地に存在したのではと新たな邪馬台国論争が浮上する。
コロンブスのアメリカ新大陸発見も、膨大な富と権力の象徴である真珠を欧州の君主たちにもたらし、やがて真珠貝採取漁業は急速に発展しいく。その一方で、乱獲や長時間の潜水により無数の人々が聴覚や感覚を失い、無尽蔵だと思われていた真珠貝は次第に減少する。すると真珠に対する欲求は高まっていった。
1893年、御木本幸吉は世界で初めて半円真珠の養殖に成功した。それが元となり1900年代初頭、御木本(ミキモト)、見瀬、西川、上田、藤田らと真円真珠形成法を確立した。商業生産が本格化するとミキモトは英仏など海外に支店を出し、天然真珠がちょうどバブル時代を迎えて価格が高騰するなか価格を下げて販売を始めた。ところが、1921年ロンドンの夕刊紙『スター』が養殖による真珠を「ニセ真珠事件」としてとりあげ大騒動となるが図らずも英仏の真珠シンジゲートは天然と養殖の違いを見分ける術がなく、養殖真珠がいかに素晴らしいかを知らしめる結果となった。その騒動はフランスにも飛び火して、パリの真珠市場は一時閉鎖する。当時、高価な天然真珠のネックレスは支配階級やブルジョワだけが身に付けられる特権で、天然ものに引けを取らない養殖真珠が出回り価格が暴落するのを恐れたのだ。
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